一輪の存在感 | マロウの徒然日記

マロウの徒然日記

ガーデニング記録を中心に、日々の暮らしをつれづれなるままに・・・

ただ今兵庫南部は、激しい雷を伴う雨です。
春雷かあ…とつぶやいていたら、
途端に地響きするほどの雷鳴。
近くに落ちたのかしら?
と思うほど。

雨音も強く、庭に咲いていた花ちは
こうべを垂れて、雨の行き過ぎるのを待っています。

これは、一昨日の日曜日に散歩途中に立ち寄った近所の寺のお庭です。



牡丹の見頃です。

一つの花が大きくて、見応えがありますが、
正直、あまり好きな花ではありませんでした。
牡丹の花を見ると、
何故か子供の頃に紅白のきれ紙で折った、
飾り付けの花を連想してしまうんです。
運動会の入場門の縁取りに貼り付けていた、
あの花です。
いかにも、造花チックな感じがして
花の奥ゆかしさが感じられなかったんです。

でも、この間お茶の稽古で、
お師匠さんちのお床に、…。


茶室では、一輪か二輪、
開ききる前の花を飾るのがよしとされていますが、
牡丹も半開きのこのくらいなら、
奥ゆかしさを感じます。

こうやって見る視点が変われば、
牡丹が群れて咲く庭も、
それはそれで、趣きがあるように思えてきます。