私の見る夢はいつも悪夢です。

 

ビタミンBが足りないと悪夢を

見るらしいから、ビタミンBを

アホほど飲んでたことがあるけど、

それでも悪夢を見るワケ。

 

しかしですね、ホントにビタミンBが

足りなくて見る悪夢は

私のソレとは種類が違うらしい。

 

マジでビタミンBが足りてない

旦那さんは連日連夜、追いかけられ

殺される夢を見ていた。

 

コッチはビタミンBが速攻効いた。

サプリを飲むようになったら

ジキに全く見なくなった。

 

私の悪夢は追いかけられて殺されるって

種類の悪夢ではない。

 

遠足の班決めで、私1人余り、

会議(ここら辺が現代と混ざる)の議題に

「香凜さんが遠足の班に

入れてもらうためには

何が必要かみんなで考えよう」って

いう会議で、みなさん積極的に

私の欠点を言いまくるって感じのもの。

 

何でこんな悪夢を見るんだろうって

不思議に思っていたんだけど

中村うさぎさんのエッセイを読んだら

ナゾが解けた。

 

うさぎさんは、あるときから

元旦那さんとの離婚活劇を

繰り返し夢で見た。

 

もう、一体なんなのさって

思っていたけど、

ハッと「今、自分は安全地帯に

いるから悪夢を見るんだ」って

気がついたらしい。

 

離婚はうさぎさんにとって、

あまりにもヘビーすぎたため

思い出にすべて

フタをしてしまったようで、

 

顕在意識ではあまり記憶がないのに、

元旦那さんとのドロ沼劇が夢にでる。

 

きっと、

自分は安全地帯に来たから

トラウマを解放させるために、

その夢をみるのかもしれないって

思うようになってはじめて、

それだけ傷ついていた自分に

気がついたそうです。

 

私も同じ。

もう、私は誰かにバカにされたり

仲間外れにされることは絶対ない。

 

だから、昔の傷ついたトラウマを

解放するために悪夢を

見るのかもしれない。

 

目が覚めると、自分は

そんな世界は終わったことだと

安心する。

 

 

ちなみに、両親の夢は見ない。

ウチの両親は毒親でした。

私は最期の面倒をみた。

 

ヘルパーさんやケアマネさんと連携をして、

仕事に穴をあけずに介護をやり、

医者にエホバに間違われながら、

母の延命を断り、

兄と子どもたちしか呼ばない葬式をして、

親の汚い家を全部片付けた。

すべて捨てたった。

 

いわば、「自分の因縁は

自分ですべてカタつけました」って

感じだからトラウマがない。

 

さりとて、思い出したくもないから

夢を見ないんだと思います。

 

 

そんな私が見ない夢は

けんか別れのまま死んだ親友の夢。

 

これは、

自分の人生最大のトラウマでして、

あまりに自分が傷つきすぎて

私は親友のことを

すっかり忘れてしまってました。

 

ところが、

東日本大震災に誘発されて、

 

ある時に、

阪神大震災のとき親友と一緒に逃げたことを

思い出し、そこから私が原因でケンカをして

謝る前に親友が死んでしまったことを

思い出した。

 

 

東日本大震災のとき、

当時勤めていた会社は連鎖倒産して、

私はハロワに通った。

 

子どもたちは二人とも保育園に

通っていたから2ヶ月以内に仕事を

見つけなければ退園って言われていた。

 

息子は発達障害があり、

保育園とは何回も話し合って、

保育園は配慮して

加配の先生をつけてくれた。

 

おばあちゃん入った超ベテランの

おばちゃん先生たちがいっぱいいた

市立保育園は、

あやうい息子を本当に大事にしてくれた。

 

そんな感じだったから、

環境を変えたくなくて必死に仕事を探した。

 

結局、2ヶ月あった休職期間の

1日前に、就労証明書を発行してくれる

ハロワ斡旋の職業訓練校が決まり、

そこに通っているうちに、

前職の知り合いから仕事を紹介されて、

就職が決まった。

 

ああ、よかった。

 

って、安心して一杯飲んでいた時に、

 

フト、阪神大震災の時、

試験勉強をしていたら、

ドーンと地震があって、

シャーペンを握ったまま、

一緒に逃げた人がいたことを思い出した。

 

「やっぱり安心すると、思い出すのね」って

のは今の私の感想。

 

 

あの時はただただ呆然として、

そして、号泣した。

 

 

 

 

そのあと、夢でいいから

謝りたいって何回も思ったけど、

京都まで会いに行ったら

電車が京都につかない、

京都に着いたけど、改札口がないって

夢を何回も見た。

 

 

 

そうこうしているうちに、

私は50歳を超えた。

 

 

体調が悪くて

めちゃくちゃ忙しい昨日、

親友が夢に出てきた。

 

私は彼女の手を取り、

「あの時はごめんなさいね。

 

私が悪かったわ。

 

ずーっと気にしていたのよ。

 

謝りたくて

あなたを探しに京都に行ったけど

改札口がなくて降りられない

夢を何回も見たわ。

 

去年、会社のイベントで関西に

来たときに、京都に寄って、

西院に行ったわ。ずっと

あなたのことを思い出していたのよ。

 

ありがとう。とても楽しかったわ。

 

あなたのことが大好きよ。

 

あなたの恵まれた環境に嫉妬して

心ないこと言ってしまって、

本当にごめんなさい。

 

それを私は一生後悔しているのよ。

当たり前よね、大切な人に

ひどいことを言ったんだもん。

 

 

ありがとう、会いに来てくれて。

 

私の話を聞いてくれてうれしいわ。

 

忙しいのに、私のために

時間を作ってくれて、

どうもありがとう。

 

今日会えて、本当に、ほんとうに

嬉しい。私の気持ちを伝えられて

本当に良かった。

 

もう、思い残すことは、

なにもないわ。」って

言ったら目が覚めた。

 

 

 

実は、親友とは価値観がすごく合ったけど、

アチラはめっちゃ金持ちお嬢で、

家族は仲良かった。

 

ビンボー毒親の私とは何もかもが

違って、私は好きだけど嫉妬もしていた。

 

私と出会ってから

親友はタバコとかお酒とか

覚えちゃったし、

一緒に学校をサボったりしたから、

お嬢さんだった親友を

そんな道に引きずってしまったことを

後悔もしていた。

 

 

もし、

彼女が生きていたとしても、

結局は仲違いしたのではないかって

思いはじめたのは、

コロナワクチン接種が始まってからです。

 

 

もともと、

地主のおじいちゃんおばあちゃんに

大事にされ、公務員の両親がいてって

恵まれた人だったから、

そういう人特有の人の良さが

素晴らしいと思う反面、息苦しいときも

あった。

 

彼女といると、とても楽しいけど

言わなくていいことを言ってしまい、

後で自己嫌悪に陥ったりして、

自分のメンヘラはひどくなった。

 

それに、私とつるんでいて

彼女が覚えたのはお酒とタバコだけ。

 

私が彼女のプラスになる存在とは

ちっとも思えなかった。

 

だから、離れるつもりだった。

 

それに彼女の死は、私のケンカとは

全く無関係だった、

 

とても不幸な出来事だったけど

私はあたかも自分のせいだったように

思っていた。

 

私が代わってあげたかったって

ずっと思っていた。

 

すごく苦しくて、彼女と同じ名字や

名前の人を見かけると一日憂鬱になった。

 

コロナワクチンが始まったとき、

彼女は私が止めても打っただろうと

ハッと気づいた。

 

そこから、

ただ単に喧嘩をしたワケではなく、

離れようって思っていたことや、

彼女の死は私のケンカとは無関係の

不幸な事故だったことを思い出したのね。

 

何しろ私はものすごく傷ついたから

あちこち記憶が飛んでいて、

まるで穴ボコだらけの

ジグゾーパズルみたいだったんです。

 

彼女を好きだけど嫉妬していたことや

ワクチンは止められなかっただろう

ってことや、彼女の死は

悲しいけど、私のケンカとは

無関係ってことが抜け落ちていた。

 

コロナワクチンが始まってから

私の記憶のジグゾーパズルは

すべて揃って、絵が完成したように

全部を思い出しました。

 

彼女はいいとこの子だから、

それなりの人を紹介されて

まあまあいい結婚をしたか、

しなくても優雅に生きて行けたと思う。

 

いろんなブランドを身に着けて

それなりに満たされて、

キンキラしている彼女に

GU着た私がワクチンを止めに行ったところで

 

憐れむような優しい眼で私を見て、

いろんなお土産をくれて、

丁寧に、不快にならないように

慎重に言葉を選びながら

断固として断っただろう。

 

もしも、親友が生きていたとして、

かろうじて友情が続いていたとしても

大学を卒業した後は、それが

惰性に変わっただろう。

 

それくらい生活環境は違った。

 

ドノミチ、彼女との友情は

「スタンド・バイ・ミー」のように、

期間限定の友情だったと思う。

 

でも、「スタンド・バイ・ミー」みたいに

「あれ以上の友情はない」という

ともだちだった。

 

私は、自分のために、

あんないいかたをするべきじゃなかった。

感謝して謝って離れるべきだった。

 

結局は惰性になり、

やがて仲たがいをしたと、

今では思うけど、

それでも、私にとっては

たった一人の大切な人だった。

 

育ちのいい人特有の優しさも

服の趣味も、上品なしぐさも

美しい所作もみんな好きだった。

尊敬していたし、ステキな人だった。

 

 

夢の中で私が素直にお礼と

心からの感謝を言ったから

親友はビックリしていた。

 

あの時の私は悪態しかつかなかったから

ビックリが正解。

 

 

そうだ、私は

親友の供養のために、

美しく生きようと思ったんだった。

彼女は私をきれいだと言ってくれたから。

 

 私は彼女をお手本にして

彼女のしぐさや気遣い、

話し方をマネして生きてきた。

 

彼女だったらきっと、

こういっただろうっていうことを

第一優先で話すようにしてから

社会でそれなりにやっていけている。

 

神社仏閣に行って祈るときは、

まず、親友の供養。

それから、子供たちのこと。

仕事のみんなが

ワクチン後遺症が出ないように。

 

ワクチンが止まること、

みんなが気付くこと。

 

自分はメンテナンスさえしていたら

心身健康なんだから、神様に

助けてもらわなくても大丈夫。

基本、自分はいいですって感じ。

 

 

夢の中で私が言った

彼女へのお礼の言葉は、

当時の彼女だったら

そう言っただろうことを、

時間をかけて理解して納得して

自然と話せるように習得したものです。

 

 

最後に書いておきますが、

私は親友を尊敬していたし、

服のセンスも好きだった。

 

でも、ここだけはイマイチだなって

思ったのは「美人の好み」だった。

 

彼女が美人って言う人は、

どの人もめっちゃ微妙だったから、

キレイって言われても、私も微妙だった。

 

それでも、そんなこと言われたのは

最初で最後でした。

 

じつは、ビンボーメンヘラながら

私の方が美人を見る目が確かで、

私は親友の方がよっぽどキレイだと

確信してたから、イヤミで

言ってるんじゃないかって

疑ったりもした。

 

でも、結局、

彼女がキレイって言ってくれたから

肌もカラダも髪も

ちゃんとメンテナンスして、

本当にキレイになった。

 

そして、のちに私の髪と肌は

私の最強の鎧になった。

 

いろんな困難が来れば来るほど

美しくなる私の肌と髪に

私はどれだけ慰められたかわかりません。

 

  

私は彼女の言葉に

感謝と敬意の意を表するあまり、

彼女の記憶がないときですら、

 

私はすべての女の人に

キレイだ、キレイだって

言うようになったのであります。

 

それは、エステティシャンを

する上で、大きな武器となりました。

 

彼女はまさに、 

私の人生すべてを

変えてくれた素晴らしい人でありました。

 

夢に出てきてくれて、

気持ちを伝えられて、

本当に嬉しいです。

 

エエ夢見させてもろたわ。

 

わたし、もうちょっと頑張ります。