この前
某車椅子インフルエンサーが
アポ無しで映画館に来て
自分の車椅子かついで
プレミアムシートに運べって言って
車椅子席を使ってくださいといったら
ひどい対応されたって
お騒ぎになりました。

この方は車椅子ユーザーの地位向上のために
YouTuberもされておられるらしいけど

これは車椅子ユーザーにとって
プラスかマイナスかっていうと、

私はマイナスだと思います。

私は健常者の労働者側です。
人もいない中で重いものはかつげない。

だから、前もって人を
配置しないといけない。

サービス業はだいたいシフト制だから、
みんなのシフトを調整するけど
パートさんはまず集まらない。

そうなれば正社員が休日出勤して
対応するけど、正社員だって、
葬式もあれば結婚式もある。
急に言われても困るワケ。

なのに、アポなしって
バカですかって感じです。

こういうことがおきたら、
通常は対策会議をするんですが、
そうなったら、「今までは
善意で引き受けていたけど、
そうなるとこういうモンスターが
出てきちゃうから、『なし』一択に
しましょう」って流れになるわけです。

もちろん、
できればみなさんに
ご利用いただきたいけど、

自分1人で解決できない、
人を集めなきゃいけない、
人はシフト制で動いている以上、
できないことはできない、

それをやれというなら
善意はやめようって話になる。
だって、善意ですもん。

今までは
休日出勤ってことになっても
「あの人が喜ぶなら
仕方ないよね」って
なんとなく納得していたけど、

一定数以上フォロワーを持つ
インフルエンサーが
「snsに書き込む」ってやることは
相手方にしたら、
ミサイル撃ち込まれたのと一緒。

モハヤ、車椅子ユーザーは「脅威」。
顧客から、モンスターに変わる。
そうなったら、
善意とかそういう生ぬるい対応はできない。

明確にルールを明示して、
ルール以上の対応はしない。
ヘタに話しかけない。
余計なことは絶対しない。

それがモンスターと対峙する鉄則。

そうしたら、誰が困ると思いますか。
多分、きちんと前々からアポを取り
スタッフと話すのを
楽しみにしている車椅子ユーザーの方が
お困りになると思います。

人の善意に丸甘えしたり、
善意を悪用すれば、
誰が困るかというと、
今までその善意で、ものすごく
助かっていた人が困るんですよね。



https://x.com/akanabrewing/status/1768108839403229437?s=46




ほら、このコンサルのおかげで

真面目にプロモーションしていた人が

皆、迷惑被ってるでしょ。


弱者系の人って、

共産党とかよくわかんない支持者に

持ち上げられて、


何か勘違いされているように

お見受けする人を

ポツポツお見かけするけど、

あれは、同カテゴリーに属する

普通の感覚を持つ人こそ、

ハッキリ言ってやるべきだと思います。



この人も某車椅子ユーザーと

同じ構造でモメて、やっぱり同じように

「自分は悪くないよね」って

掲示板に書き込んだら炎症して、

同カテゴリーの人に怒られて

それがめっちゃ効いていた。



弱者系って、どうしても

「生まれながらに不利な立場」にいるから

自己憐憫感が育ちやすく

親御さんもそれを止めないから

モンスターになりやすいんですよね。


でも、夜と霧で

フランクルさんが

「どんな立場であろうともら

その人がどういう態度をとるかは

その人の自由意思による」って

言ってるから、


「不利な立場」であるからといって、

誰しもが

先出の車椅子ユーザーさんみたいに

猫を新幹線の多目的室に放して

YouTubeを撮ったりしないわけ。


それは「車椅子ユーザーという

圧倒的不利な立場」

だからするのではなく

「その人自身の個性」。


しかし、その人のアイコンは

「車椅子ユーザー」。


その人がミサイルを

撃ち込んできたってなれば、

個人ではなく、アイコン属性の人を

すべて対象にしないと、 

サービス業としてはやってられないだろうって

思うワケです。



私は車椅子ユーザーさんに

ウラミツラミもないし、

映画館にも勤めてないけど、

シフト制なら慣れているし、

サービス業、接客業が長かったから

めっちゃ想像がつくんです。


それに、私の子どもは発達障害だから、

発達障害や軽度知的のお子さんを持つ

親御さんと接することが多かったんだけど、

この車椅子ユーザーさんみたいな

発想の親御さんをちょくちょく見かけて、


それがイヤで、

息子は専門学校からは普通のとこに

行ってもらったんです。


息子は普通の人とはちょっと違う。

それは私も同じ。


でも、

生活習慣や食習慣を変えることで

違う部分は変えられないけど

普通の社会生活には適応できる。


普通の社会生活の中で

出会う人の方がいい人が多い。

生活しやすい。


やっぱり、ワガママな人と

付き合うのはしんどいんですよね。


それに、自分はそれなりに

いろいろやっているから、見てると、

障害だけが原因じゃないだろうって

思ったりしちゃうこともあるわけ。


でも、本当はそんなことを

思うのもイヤ。目に入れたくない。


私はもっと美しいものを見たい。



それにそもそも

障害あるなしに関わらず、


努力もせずに他責思考で、

自己憐憫満載にまみれて、

人様に負担や迷惑をかけて

さらにもっとよこせという人と

縁のない人生を送りたいと

あるとき私は激しく思ったんですよね。


そういう人を遠ざけるためには

自分がそういう人にならないことから

スタートしないと

絶対にうまくいかないって実感として

思いました。


弱者属性にいる人って

自分の弱さには敏感だけど、

他人の苦労にはめっちゃ鈍感な人が

多いように思うから仕方ないのかも

しれませんけど、


自分が弱者を表明して

snsで活動したら、

その弱者がアイコンになる。


自分の行動や発言は

その属性の発言と捉られる。


当たり前ですよね、

だって、自分で言っていて、

その弱者属性を全面に出して

活動してるんだから。


自分の行動や発言は、

後に続く同じ属性の人に

道を開く行動なのか

道を閉ざす行動なのか

いま一度よく考えて欲しいなって

思います。


軽度知的が入っていても

考えている人はちゃんと考えている。



そういう人を見ると

ユダヤ人ってだけで

収容所に入れられ、

強制労働を強いられて

飢えと疲労に苛まれ、

明日の命もわからない中


人を思いやり、

夕日を見て感動した人々がいたことを

きちんと見つめたフランクルの

偉大さを思い出します。



私は弱者属性にいる人に

1番必要なことは

読書ではないかと思います。


相手の立場を想像する、

自分の人生では難しいような

擬似体験ができる、

自分と同じ立場の違う考えの人に触れる、

同じ立場で同じ行動をしている人を見て

我が身を振り返れる、

自分の苦しみや葛藤を

きちんと言語化できる、ってことが、

読書をすると自然に身につく。


そして、これこそが

自分がモンスターにならないで

いられる唯一の方法でもあるんですよね。


弱者がモンスターになったら、

すごく孤独ですよ。

寄ってくるのは弱者属性を利用するような

人ばかり。あとは顔を見たら逃げられる。


自分のことを

軽蔑してる人から世話を受ける。


そして、

健常者と同じことをすることにだけ

着目すれば

自分の弱者属性ばかりが目立ち

ミジメになるだけじゃないかと思う。



モンスターにさえならなかったら、

今の世の中はモンスターが多く、

モンスターにヤラれて

疲弊している人がいっぱいいるから、

アナタに好意を持つ人が必ず出てくる。


そういう人が何人かいて、

自分にやらなきゃいけないことがあったら、

自分の持つ弱い部分は

あまり気にならなくなる。


みんなと同じことができないことも 

あまり気にならない。私は私。

私だけの生き方があるから。

 

そうこうしているうちに、

自分の弱い部分を助けてくれる人も

ちゃんと出てくるし、

自分が助けられる人も出てくる。  


助ける、助けられるってのが

一方通行にならないって大事なんですよ。

だって、視野が広がるから。


世の中は広い。いろんな人がいるって

わかってくる。




そうすると、

何気ない毎日がなんとなく楽しくなる。


だから、私は

何気ない毎日がなんとなく楽しいです。