かねてから在宅で介護中だった父は今月4月7日に眠ったまま息をひきとりました。

 

亡くなる1週間前、父は朝ごはんを椅子まで歩いて座って食べました。

でもおかゆを5口くらい食べて、

「起きてるのがしんどいから寝る」

と言ってまたベッドに戻りました。

とにかく眠っている時間がどんどん増えて、体力が弱ってきているなーとは思っていましたが。

 

朝、食べないときは昼や夜に食べるので、私は(今夜は父の好きな三平鍋にしよう)と思いながらいつものように仕事に出かけました。

昼はヘルパーさんが納豆ご飯を用意してくれることになっていて、夕方はおやつにトマトやイチゴを用意してくれることになっていました。

 

仕事を終えて帰ってくると父はいつものようによく眠っていたので、まずヘルパーさんが書いてくれた記録を読みました。

父の状態や父との会話などを書いてくれていて、それもいつもと変わらない感じ。

ただやはり食事は出来なかったようでした。

 

まずは食事の用意をしてから起こそうと

いつもより気持ちを込めておいしい三平鍋を作り

 

「ご飯出来たよ、起きて」

 

と声をかけましたがなかなか起きません。

いつもはどんなにいびきをかいて寝ていても

「ご飯が出来たよ」

と言うと

「おう」

と寝ながら返事をしてむっくりと起きるのですが、その日は様子が違いました。

 

どんなに声をかけてもゆすってもただただいびきをかいて寝ているだけです。

 

この時はショックでした。

もしかしたらもう2度と父と話をする事ができなくなるんだ、と覚悟をしました。

1週間後、父は寝たまま息をひきとったのですが、その時より動揺しました。

 

しばらく父の寝顔を眺めていましたが、はっと気付いてかかりつけの医院に電話をしました。

訪問看護士さんがすぐに来てくれて、私の考えを聞いてくれました。

入院するかどうか、、ということです。

 

「入院はしないと父から言われていましたので、それは考えていません。」

 

と私が言うと、

 

看護士さんは

「わかりました、明日から自宅で点滴をします。」

 

ということで翌日から自宅での点滴をはじめました。

と言ってもそんなに沢山はしませんでしたが。

 

酸素濃度や脈拍、血圧も良好で熱もないので看護士さんは

 

「もしかしたら点滴で目が覚めるということもあるかもしれません。」

 

と言ってくれました。

 

ちょっとは期待しましたが、このまま会話をすることなく別れになるだろうという気持ちが強かったです。

近所に住む兄夫婦とやはり近所に住む娘夫婦には知らせました。

 

ただ眠っているだけで危篤というわけではなかったのでみんな翌日会いに来てくれました。

 

引き続きヘルパーさんや訪問看護士さんが来てくれたので、私は仕事を続けました。

職場には父が昏睡状態にはいったので早退や遅刻などあるかもしれないと伝えました。

みんなとても親切に言葉をかけてくれて「無理しないで、休んでもいいんだから」と言ってくれましたが。

眠っている父を見続けてもどうにもならないので職場で仕事をしていたほうが滅入る気持ちが救われると思いました。

 

昏睡に入って1週間たった日曜日、仕事も休みで自宅には娘と孫二人が遊びに来ていました。

孫がにぎやかに父のベッドのそばを走り回っているあいだ、ふと気がつくといびきが聞こえなくなっていました。

 

父はいつの間にか逝ってしまったのでした。

 

覚悟はしていたので今度は動揺はしませんでした。

娘や孫と一緒の時でよかったなーと思いました。

小さな孫は

「おじいちゃん死んじゃったの?」

と聞いて顔をのぞいていました。

なんだかそれを見て私は笑ってしまいました。

 

きっとこれが自然な死なんだ、、と思いました。

父94歳、よく長生きしたね、、。

 

在宅介護を続けて看取りも自宅で、と決めて正直どうなるのかわからないままに毎日やってきましたが、こんな静かに送ることが出来て本当に良かったです。

何よりも苦しむことなく本人も気がつかないくらいで逝けたのは良いことだと思いました。

勿論介護するものとして反省することは沢山ありましたが。

それはこれからゆっくり思い出していきます。

 

 

今頃天国で母と会えてるかな、きっとあちらはにぎやかなことだろうな。

 

私はまだしばらくはいろいろとやるべきことがあるので忙しいですが、父には天国でゆっくりとしてほしいです。