皆さまごきげんよう、エシュルンです(^-^)♪

 

 

 

先週の集会(研究記事30)で思ったのですが、エホバへの愛が深まる→自分がエホバの性格(性質)に似てくる→エホバは人間が大好き!=なので、自分も人が大好きになっていく、の図式になっていくのかな~(≧▽≦)と。そしたらやっぱりエホバは愛と知恵に富まれる神だと改めて確信いたしました。聖書って本当に生きている言葉だと思います。ずっと昔に書かれたはずなのに、今も未来でも語り続けてくれる・・何と言いますか、アルファでありオメガな書物かな~と思ったり(あれれ?伝わらない?ごめんなさいね)とにかく聖書は世界一稀有な本に違いありません。

 

 

 

私たちは神の像に創られているので、たとえクリスチャンではないとしても、誰かが(それとは知らずに)神に見倣う行動を見たり聞いたりしたりすると、それはとても心を動かすものになります。自然に感動を覚えます。それはそのように創られているからです(^-^)♪だからこそ、大変なときには自分中心ではなく、エホバのご意思は何かを考えて動くと、穏やかさ・忍耐力・思いやり・愛を示せます。そしてそれは神の目に尊くて喜ばれることなのです。エホバは私たちをいつも大切で貴重な人と見てくださっています。ありがとう天のお父さま(^-^)♪

 

 

 

 

 

 

一部のJW(EXJW?)さんの中で「自分が欲しかった」親の愛が貰えなかったことを嘆いて、それを自身が大人になってから(中身は未だ幼子のまま)組織の偉い立場の人のせいにする人がいらっしゃるかもしれません(ってこの組織の偉いって??よく判りません)私の個人的な見解になりますが、人を許すことを考慮せず、いつまでも被害者でいることに甘んじていると、いずれ加害者に転じてしまう可能性が強まると思います。

 

 

 

自分の苦しさをエホバ神に打ち明けて助けを求め続けようとせず、被害をもたらした人物とだけで向かい合って話し合いを続けることもせず、自分と関わりない人たちに話を大きくしてもらうというのは、エホバの方法ではありません。ですので方向転換しなければ、決して良い結果にはならないでしょう。この時点において個人の恨みをただ同じ宗教に属しているからというだけで、無関係な信者の人たちを巻き込もうとするのは、被害者ではなく加害者の立場になってしまっています。

 

 

 

そういう人たちが異口同音に組織の瓦解を望んでも期待してもそれは実現しません。なぜなら、現在起きていることはエホバの想定されている出来事だからです。地上の組織が精錬される道具になるだけのことです。エホバは反JW行動が起きることはよくご存じですが、誰がするかは決めていませんし、強制もしていません。いつでも人の自由意思を重んじられます。だから「満たされなかった必要」を欲して他責・他罰に動くのか、それともエホバの助力を得て自分自身で満たそうとしていくのか、ここがその人たち一人一人の歩みの大きな分岐点になるのだろうと私は思います。

 

 

 

宗教2世の方たちは1世と違って2世は絶対的に不幸、と思っておられるような節があるようにも感じますが、でも現在のエホバの証人組織(特に日本)の主力は1世さんよりも2世さんだと思うのです。心の傷で離れた2世さんは多いのかもしれませんが、エホバと組織が大好きで留まっている2世さんはもっと多くいらっしゃるのが現実だと思います。余談ですけど、同調圧力好きの日本では特殊な育ち方した子どもに対して本人が割りと楽しく暮らしていたとしても、可哀そうだわ~不幸だわ~目線でご覧になる傾向が強いように思えます。それから存外?人の幸せより不幸の話のほうを好んでいるようにも感じます。これも育った背景が関係しているのでしょう(←何世代にもわたってサタンが牛耳ってきた結果です)

 

 

 

離れた2世さんで本当は聖書の勉強が嫌だった、という方を以前知っていましたけど、それって言い方を変えれば別に親から無理矢理の洗脳は受けていないわけですよね。親の目が怖くて或いは親を喜ばせたくて、自分の心に反して従ったふりをしていた、ということだと思いますが・・それはある意味「情」で聖書を選んでいたことになります。イエスは「神を崇拝する人は聖なる力と真理に導かれて崇拝しなければなりません」と教えていますから、その人がずっと「情」ままバプテスマを受けてそこから成長しようとされなかったのだとすれば、離れたのは自明の理ではないかな~と推察するところです。

 

 

 

1世さんについて言えば、おそらく家庭内での問題を抱えて成長された方は多いと推測します。むしろ問題を抱えていたからこそ、煌めく聖書の真理に引き寄せられた、と言ったほうが正解かもしれません。本人は無意識だとしても実はアダルトチルドレンな1世の方もいらした(いらっしゃる)ことでしょう。聖書は人を変えることができる本です。とはいえ、当てはめようとする人たちの背景が大変であればあるほど、変革するには相当の労力と時間が必要でしょう。子供のときから教わることができた2世&3世の人でも「新しい人格」を身に着けるのが大変なのであれば、大人になって学んだ1世の人たちはもっともっと大変なはず、とお考えになったことはありませんか?

 

 

 

1世の親の方々の変革の過程最中(ご自身が成長しようとされたかどうかは個別の問題ですが)での子育てにおいて、古い人格を出してしまっていた可能性は否めません。そのことが遠因で一部の2世さんが離れてしまったのかも、と思ったりもします。でもそれでも注目したいのはエホバ神のことです。

 

 

 

私は私を含めて、これまで多くの人が実は本当はバプテスマを受けるための精神的な健全さが本来の神の条件(基準)に達していなかったのでは?と思います。それでもエホバはその人が十分にできていなくても(というより付け焼刃程度で)「エホバの証人」と呼ばれる者の一人になることを受け入れて認めてくださいました。エホバがその人の良いところ全てをご覧になり、愛によって未来の可能性をご覧になってくださったからです。条件の引き下げについて言うならば例えばロトは自分から願い出て神が当初決められた条件を緩和してもらいました。私などはお願いも何も・・自分が全く気づいていなかった時に、エホバの方から先に譲歩していて緩和してくださっていたのでした・・今更判った次第ですm(_ _)m

 

 

 

しかもエホバは譲歩されたことにより後に「エホバの証人」の言動&行動から、神のお名前に非難が来る可能性さえ承知しておられたはずです。頼りない超不完全な成員ばかりなのですが(あえてこの書き方です、失礼)でもイエスが弟子たちの可能性をみて高く評価し希望し確信されていたのと同様、天のお父さまエホバも私たち、私のこれからをご覧になってくださるのです。だから私はそのエホバの期待に微力ですが全力で応えたい!です。そしてこの思いこそが私の満たされなかった必要を満たしていく鍵になります(^O^)/エホバ神を深く深く愛して、その結果人々への愛を増していくなら、天のお父さまは必ず私の必要を充分以上に満たしてくださるでしょう。

 

 

 

 

 

 

【おまけの語り】

 

 

神を愛したいと願うのなら、人の噂を鵜呑みにして信じてはいけないと思うのです。人生噂話に惑わされるほどくだらないこともないかな、と思う次第です。噂のせいで被害が拡大した歴史の過去事例などを振り返ると、流言飛語の恐ろしさと同時に噂の憎らしさも感じます。決して噂にふりまわされないこと、これって大切ですよね。

 

 

 

例えばじっくり話したこともない、組織の偉い人??のことを裏付けも確認も取らずあれこれ言うのってどうなのかな~って昔に思いました。

せいぜい又聞きの又聞きの又聞きくらいって、既にそれは「伝言ゲーム」状態では?ないでしょうか。○○さんが言っているから間違いない、は本当に正しいのですか?それとも実は「その話を信じたのではない、信じたかったのだ」でしょうか?ネットニュースのように、切り貼りした話をチョイスつまみしている可能性はないですか?

「一方聴いて沙汰しない」ことも聖書の基本原則です。

 

 

 

会ったこともない人たちのことを勝手に決めつけることほど、流言飛語の燃料になるものはありません。もっと言うなら、ダビデはサウルが良くない王であることを直接知っていましたが、エホバが選ばれた人としていつも敬意を払っていました(これは今の組織がダメという意味ではなく、エホバが選ばれた人たち=組織に対して敬意を払うということです)前回の記事で私は「優しく強く美しく」真のレディはイエスの(姿勢に見倣う)女性版のような人と書きました。イエスは流言飛語に乗ぜられる方ではなく、それを広めたり信じたりもされません。そうするなら人々を愛していないことになるからです。私たちが本当にイエスを好きならば、イエスが嫌うようなことはしないはず(^-^)♪ということで、私は真のレディ&神に愛されるエシュルン♪を目指す者(≧▽≦)として、エホバやイエスと同じように人を愛さずにはいられない者になっていきたいと思います。