久々に書いたと思ったら。
らしくない。
今回“らしさ”について。
僕は、信じてもらえるか分からないけれど、多分皆さんが想定するよりも、Twitterで知り合った人々のことを大事に、純粋に友人だと思っています。趣味が合う人たち。素敵で、貴重です。
と、まぁ一方的に友人だと思ってはいるので、希望的観測として「相手にも友人だと思ってもらっている」と仮定し、怖がらずに「なんとなく僕のことを知ってくれている」人がこれを読んでいるということを大前提にして言いますが、「なんだよ“うんこ”って、急に。らしくないな」と何人かは思ったんじゃないかなぁ、と。「てめぇのことなんか知らねぇよ」を怖がって何行も言い訳に使ってしまいました。
なんで「らしくないな」と思うか。そのまんまですが、理由として「いつもと違う」から。普段そこまで下ネタをツイートしたりしないからです、きっと。違和感。
この間ふと、中学校でのある一コマを思い出しました。当時から人と話すのが好きだった僕は、休み時間にグランドへ出ず教室にて喋りっぱなし。
急に親友が大きな声で「○○(僕の名前)ってさ、下ネタ言わないよね」と。
「あぁ~確かに」と友人たちがざわつきます。
「ちょっと“うんこ”って言ってみてよ」
幼稚で暴力的な提案。カツアゲですよこんなの。「お前ってあんまり普段金使わないよな。ちょっと財布出せよ」ですよ。
ここで僕は即答すればよかったんですが、事もあろうに「嫌だよ」なんて言っちゃって。そしたらもう「言えよ」「いいじゃんかよ」の応酬応酬。ボコボコ。きっちりハードル上げて、環境が整っちゃいました。
「……うんこ…。」
いや大爆笑。驚くほど。僕の「うんこ」で。たった一言で、友人らは腹が割れんばかり。もしその時同じ教室に将来「第二のあべこうじ」と言われるほどのお笑い才覚を隠し持っていた同級生がいたとしたら、きっとこの光景を見て養成所行きを諦めたでしょう。輝く芽をひとつ摘んでしまいました。「うんこ」で。
いや~、恥ずかしかった。
つまりこんなにウケるということは、それだけギャップがあった。“僕”と“うんこ”がかなり遠い所にあった、ということです。いたでしょ?「お前、うんこ近いな!」みたいな友達とか。もはや同居人か!つって。むしろ同居“便”だな!もう片足突っ込んでるよ!もう間取りは1T(トイレ)だな!つって。
で、まぁ小学生の頃から無意識に家の外ではかっこつけるスイッチが入っていまして、下ネタとか全然喋らなかった。家とそれ以外の環境での自分の振る舞いの違いについても、また書きたいな。
でも、Twitterは何してもいいじゃないですか。素顔を知ってる人は(ほぼ)いないし、世間体も(あまり)気にしなくていい。好きなことを好きなだけ呟けばいいし、最初から「僕は下ネタ言いますけどね。僕は、下ネタとか、言いますけどね~!」ってスタンス作っちゃえばいい。そんなことを、アカウント作った時に考えたりしましたが、やっぱり結局、「らしくないな」という違和感を与えてしまう。「うんこ」って言いそうにない僕、が出来上がる。まぁ、無理せず自然体でいたらどのみちこうなるんでしょうね。これが素なんでしょう。
“らしさ”って言い換えれば“個性”で、人としてかなり求められる場面が多い。ただ、これまた言い換えれば“レッテル”でもあって。
人から示される“らしさ”と自らの本質にギャップを感じる時、少し虚しい。「見てもらえていない」もしくは「誤解させるような振る舞いしか出来ていない」と痛感するから。
“らしさ”の需要供給バランスにもがき苦しんで、まさにバランスを整える“見えざる手”を目指しアイデンティティーの葛藤を繰り返すんでしょうね、みんな。
「“らしさ”の需要供給バランスにもがき苦しんで、まさにバランスを整える“見えざる手”を目指しアイデンティティーの葛藤を繰り返すんでしょうね、みんな。」なんて言ってるから、また“らしくない”の要素を積み上げてる。自分でバランスを崩してる。でもそれがむしろ“らしい”のか?なんだかよく分からなくなってきました。
とにかく!僕がみなさん(特に地元の同級生たちに)言いたいのは、なんか恥ずかしいし鬱陶しいので、僕が「うんこ」と言ったくらいでザワザワしたりしないでください!ということです。「意外だわ」じゃないんですよ。僕はこういう人間ですし、「この人は今まで私に本質を晒していなかっただけであって、私に本当の意味で心を許していなかったのかもしれない。私が魅力的じゃないからだ。私は信頼してもらえるような人間じゃなかったんだ」とか自分の落ち度や関係性の薄さについてまず懸念したりしろ。お前は。馬鹿みたいに「えーあなたそんな人だったのー!」じゃないんだよ。本質に近い一面を今までお前に見せてないだけ。「正体みーつけた!」じゃないのよ。なんのためらいもなく打ち明けている友達なんていっぱいいるからさ。お前に見せてないだけだから。お前が知らないだけ。お前の中の俺は、俺の20%にも満たないの。「自分の見てるものが全て100%の真実だ」と思い込み過ぎるな。「自分の至らなさ」に想いを馳せろ、日常生活でも。「迷惑をかけたかもしれない」「嫌な思いをさせたのかもしれない」と想像できない奴が、馬鹿ズラで知らない内に人を傷付けるんだよ。「ごめんなさい」って声に出して言ってみろ。「ありがとう」って声に出して言ってみろ。他人の好意や親切や甘やかしは決して当たり前じゃないんだよ馬鹿。おちんちん。以上です。