TBSラジオ 月曜JUNK
伊集院光 深夜の馬鹿力。
トークが本当に面白くて
「あぁ~もうトークだけでいいよ!」
なんて毎回思っちゃうんだけど
いざネタのコーナーが始まると
「あぁ~コーナーだけ聴いてたい!」
なんて毎回思っちゃう。
結局、ずっと面白い。
改めて考えてみると、トークにおける【位置取り】がすごいなぁ!って。物事に対する視点・切り口もそうだけど、トークにおける自分の位置取り、話し手としてのリスナーとの距離感が変幻自在で。
「いやおかしいだろ!」とリスナーがツッコまざるを得ないような、自らで隙を、恥部をさらけ出すように話す。
時には「これ凄くない?!」と、一緒になってリスナーが興奮できる、同じ視点に立てるようなスペースを空けてくれる。
と思いきや、いつの間にか伊集院さんは隣に居なくて。
思いもよらない所から「わぁ!」と飛び出して、驚かす。笑わせる。
後ろにいるし
横に立つし
待ち伏せしてる。
教えてくれるし
一緒に学ぶし
愚痴をこぼす。
先生だし
同級生だし
家族だし
めちゃくちゃ他人。
一つのトークの中でこうした位置取りの目まぐるしい変化があり、リスナーとの遠近感が騙し絵のごとく流動化して、その度に僕は感受性のスイッチをガチャガチャガチャガチャ操作するんだけど全然追いつかなくて。そしてそれが心地良いというか。
話を聴いているだけなのに、想定を遥かに超えるイメージと刺激が脳みそに溢れて、バチバチとショートするように大笑いしてしまう。
「安定の」とかじゃない。
常に刺激的。
長寿番組だからなかなか聴き始めづらい、みたいな意見もたまにあるけど、そんなのただただもったいないなぁ、と思う。
でも、そんな気持ちも分かる。
番組じゃなくて、なんとなく自分自身が閉鎖的になっちゃう感じ。
4年くらいずっと聴いてるくせに、そんな感じ、自分もちょっとだけあった。ちょっとだけ。
でも最近コーナーで、常連さんに混じってファイヤーダンス失敗くんが読まれていて「おぉ~」と思う。
より、番組を近くに感じて。
生で聴いてるんだけど、実は「大昔の伝説の音源を聴かせていただいている」みたいなスタンスがあったのかも。
それが最近、ようやく自分の射程に入ってきたというか。ラジオ番組が目指すべきはリスナーの「心の輪の内に入り込む」ことかも。家族を無条件で大切に思ってしまうのと同じ要領で、人が持つ輪っかの内側の領域に滑りこんで、愛してもらえるか。
親近感と、尊敬と、愛情と。
色んなバランスが大切なんだろうなぁ。
深夜の馬鹿力が面白い、なんて話をするのはちょっとだけ恥ずかしいですね。「カレーって美味しいよー」と一緒ですもん。
でもまぁ、甘かったり、辛かったり、ナンだったり、パンだったり、キーマだったり、グリーンだったり、レトルトだったり、手作りだったりします。
深くて、多様で、最高です。