初めましてタピオカ | 梯子ダルマ オフィシャろうブログ

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ラジオネーム:梯子ダルマとして深夜ラジオにメールを送っていた、現在放送作家として働く26歳の男が書くブログです。

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今日、タピオカを初めて飲んだ。
飲んだ?食べた?胃に入れた。
抹茶ミルク味。

初めての、予想とは違う食感。モッチモチ。もうモッチモチ。あんな蛙の卵みたいな見た目で。

タピオカがどんなものなのか分かってはいたけれども、これでようやく、本当の意味で知ることが出来ました。


経験が伴っていないのに、知った気になっていることは多い。ラジオのネタで「タピオカ」という言葉が出てきた時は「あ、あの女子高生に人気なやつだな。あのツブツブの。」というザックリした情報で妥協し、笑っていた。ただ、ちゃんと知っていればもっと笑えたのかもしれない。自分の経験と照らし合わせて、情景がより一層リアルに浮かび上がっていたと思う。


同じような例として映画がある。大前提として語られる映画のあるある、名シーン。意外と実際には観ていなかったりする。僕なんかだとベタなとこでは『タイタニック』を観たことがない。「レオナルド・ディカプリオが主演」「船の先頭で女性がT字に、男性は腰辺りを持って後ろからそれを支えるシーンが有名」「最終的に氷河かなんかにぶつかって沈没」この程度の知識でしか把握をしていない。まぁ、お笑いで引用される場合はこれぐらい知ってれば充分なのだろうけど。ただ周りと同じように笑っていても、映画本編を観たことある人に比べたら、僕はちゃんと面白がれてはいなかったのだと思う。


でも、こうした経験はいざそれに出会った時の感受性を強める点でプラスにもなると思うんです。こうした経験というのは「知らないモノのあるあるなので、一応笑っておいたけどモヤモヤしている」という経験。これがあるだけで、本当に知れた時の喜びは倍増する。「うわ!これがあのタピオカか!」と。「ただ知らなかったモノ」より「ようやく知れたモノ」の方が思入れも印象も強くなるでしょうから。「ジュースの方だけ先に飲み干しちゃった後に、ストローで残ったタピオカを1個ずつ探して吸い上げているこの状況も、あるあるなんだろうな!」なんて、元々知っていたら思わなかったはずです。


また最近だと、アメトーークの企画「ストリートファイター2芸人」がめちゃくちゃ面白かった。アルコ&ピースのANNで度々話題に上がっていたけど、実際に見たことはなかったからです。「あ、これがあの!」「でた!聞いたことある!」ばかりで、興奮してしまった。お笑いを通して、何かを前もって中途半端に知らされるのも、悪くはないのかもしれない。


たまにラジオリスナーの「この話、知らないから笑えない」なんて意見を目にする。確かにパーソナリティーだけ盛り上がって、聴いてるこっちが置いてかれてしまうなんてことはしょっちゅうだ。ただ「笑えない」というのはよく分からないですけど。パーソナリティーが楽しそうなだけで充分ですし、楽しそうに話されちゃえば知らない人や知らないモノの話題でも知らないうちに笑っちゃいますからね。知らないのに。


「知らない」というのは仕方のないことです。知識の個人差はもちろん、僕みたいな学生は特にパーソナリティーとのジェネレーションギャップを決して埋められません。大人になった僕が中高生に向けて「笑っていいとも!」のグランドフィナーレの話を熱弁しても、彼らは観たことないんですから。そう考えるとしょうがない。

でも、そういう話の中で名前だけ覚えた人やモノに後々改めて出会えた時は、かなり大きな“知る喜び”を感じることが出来ると思います。セルフ伏線回収です。


楽しそうな時に一緒に楽しくなって笑っておけば、全然無知でもいいんですよね。知ってたって知らなくたって、「知っているものに関する共感」と「知らないものの魅力の予習」なんですから。なんでも、面白いです。

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