障害者年金の「申立書」用に、息子の乳幼児時代を振り返る | 自閉症スペクトラムの窓

自閉症スペクトラムの窓

~そのままの君と~  自閉症の息子と、家族の日々を綴って・・・

父と母、兄と妹の家族4人の生活は、山あり谷あり、時に綱渡りな状況です。

笑いあり、困ることあり、ハプニング多々あり。

たいへんなことも多いけど、どうせなら笑顔で過ごせたらと思っています。

LADです。ご近所のお庭で自然のアートを見つけました。ほうずきの皮が綺麗に無くなって中の実だけが見えています。虫か何かが食べてしまったのでしょうか。不思議です。

 

 

障害者年金の手続きに必要な「病歴・就労状況等申立書」を書いています。

 

その中に、年代別の状況を書く欄があります。母子手帳や息子の成育新聞、発達検査の結果などを見ながら、記入しています。いろいろあったことを、思い出しました。

 

≪誕生~2歳までの様子≫

 

○出生直後から、睡眠が浅く、抱っこしていないと寝ない。母が生後4ヶ月で腱鞘炎で病院にかかる。夜も1時間半おきに起きてしまうので、その都度授乳、完全母乳だったので母が慢性の睡眠不足になる。

 

○テレビは見ているので聞こえているはずだが、名前を呼んでも反応しない。1歳半検診で言葉の遅れを指摘される。「様子を見ましょう」と言われる。

 

○2歳の時に、保健師から連絡があり、その時は、1歳半で出ていた言葉がまったくなくなってしまっていた。

 

○トイレの水を飲む、土を食べる等異食あり。

 

○歩き始めてからは、親の制止は聞かないので、外出時、特に道路では必ず手つなぎをした。

 

○妹の妊娠中も1日1回は、外出しないと自傷を伴うパニックがあったので、台風の日も雪の日も外出した。

 

○育てずらさを感じていた。

 

≪2歳~4歳までの様子≫

 

○3歳半検診で、言葉の遅れ、発達の遅れを保健師に指摘される。その場で、大和市の保育家庭課の療育を勧められる。育てにくさを感じていたので、すぐにお願いをする。

 

○H16年4月21日、市に巡回で来ている小児療育センターのDr.に「軽度の知的障害と自閉症」と診断される。

 

○その後、市の療育相談を1カ月に1回受け、H16年6月に、療育手帳B2判定をうける。

 

○言葉は、ジャーゴン(造語)と簡単な単語のみ。会話ができない。

 

○多動で目が離せず、玄関扉や窓の鍵を勝手に開けて出て行ってしまうので、家中全部の窓(9カ所)に息子が開けられないように防犯ロックを付けた。

 

○外でも、気になるものがあると親を振り切って走って行ってしまうので、安全のため、妹をベビーカーに乗せたままその場に置き去りにして、息子を追いかけることがよくあった。

 

○2歳半から通い始めたスポーツクラブのプレ幼稚園で集団指示が入らない、待てないことを指摘、補助の先生を付けられた。

 

診断を受けたのは、3歳半検診後でしたが、それ以前は、「子育ては、たいへんっていうけど、本当に大変だなあ・・・」、「落ち着きがないけど、主人の小さい頃も落ち着きなかったって聞いているし・・・」、「他のお母さんもやっていることだから・・・」と、障害には、気が付きませんでした。

 

プレ幼稚園にはいって指摘された集団行動のできなさ、会話が出来ない、トイレトレーニングの遅さ、多動や自傷など、今の知識があれば、すぐに「自閉症スペクトラム」の症状だとわかる行動のオンパレードです。

 

診断を受けた時「自分の子育てが悪かったのではなくて、自閉症という先天的な障害だったんだ」と、ホッとしたことを思い出しました。

 

この続きは、また明日ブログに書きます。

 

【今日のいいとこ探し】

 

相談支援事業所に、相談にいったあと、日中一時支援に行く予定だった息子。財布を忘れたことに気が付き、相談の後に、家に戻ってきてから、財布を持って日中一時支援事業所に行き直していました。

 

途中で、「財布を忘れたので家にとりに戻ります」と、連絡も入れてくれました。以前なら、パニックで、「お母さん持って来て・・」と大騒ぎだったと思います。成長しました。

 

 

追伸

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