LADです。今日は、中学校生活、最後の日でした。月曜日に卒業式ですから、普通に授業を受けるのが最後でした。以下、ネガティブで、長文です。すいません。
支援級の担任の先生と、ヘルパーさんにメッセージカードを、子ども達に書いてもらいました。それを色紙に貼ったり、メッセージカードフォルダーにいれたりして、ちょっと「力」を入れて作りました。
何でも、卒業式後に、支援級へ戻ってはいけないので、今日にして欲しいと、中学校側から言われました。なので、帰りのホームルームの後、これを、記念品と一緒に、子ども達から、先生へ渡してもらいました。
ところが、先生たち、表面上は、「ありがとう」と言っていましたが、全然嬉しそうでないんです。もらったら、「早く帰りなさい」と言って、中を見るわけでもなく、子ども達に帰ることを促していました。
私も、中学校生活最後ですから、息子と一緒に先生にお礼を言おうと思ったのですが、話しかけても、うわの空、早く帰ってくださいオーラが全開でした ( ゚ ▽ ゚ ;)
3年間のお礼を言いたかったのですが、5人いた先生誰も、相手にしてくれませんでした。正直悲しかったですね。こんなにも、嫌われていたのかと思うと、がっかりしました。
その後、交流級の担任の先生へも、息子とあいさつしてきました。この先生は、もともとさばっとした先生ですから、うるうるすることもなく、お礼ができました。
その後、息子の希望で、図書室の先生へもお礼をしに行きました。特別支援に、支援級の先生以上にすごく理解のある先生で、息子も大好きでした。
わざわざ図書室へ呼んでくれて、「卒業おめでとう。養護学校の図書室にも、いっぱい本があるから図書室を使ってね」と、丁寧に、息子へ話かけてくださいました。
娘も、昼休み本当にお世話になっています。母も声を詰まらせながら、お礼のご挨拶ができました。
これが本当のお別れの挨拶だと思いました。支援級の先生が出来なかったことを、図書の先生にしてもらいました。支援級の先生の態度は、とても残念です。
何も告げずにお別れするのは、寂しすぎます。3年間お世話になったので、お礼の気持ちは、手紙にしようと思います。
卒業式は、お天気よくなるといいですね。ほろ苦な、中学校の最終日でした。
【今日のいいとこ探し】
今日は、東日本大震災のあった日です。実は、今日、忙しかったこともありますが、あまりテレビをつけませんでした。
あの日のことを忘れたわけではありませんが、震災の時の異常な生活、テレビで見る津波、原発の恐ろしさ、失われた命のこと、そのすべてを思い出してしまうことがつらかったからです。
息子が、朝、ぽつりと、「3.11の地震の時は、怖かった。お母さんが迎えに来なかったらどうしようかと思ってたんだ」と言いました。あの時、息子は、小学校でパニックを起こしてたいへんだったのです。
あの時、地震の大きさも怖かったはずですが、お母さんが来ないかもしれないと、不安になったんですね。母のことを思ってくれているのがわかりました。
「大きな地震の時には、お母さん、必ず迎えに行くから、待っててね」と、約束しました。
追伸
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