☆迷宮の旅人☆のブログ -3ページ目

来襲

小学校も4年に上がり  日々楽しい生活が定着してきたある日



学校から家に帰ると   見覚えのある顔が




突然 走り寄り 腕をつかんで  一言



「見つけたぞ  えー逃げたってな すぐ見つかるんだからな」



そうです あの親でした



家に押し込まれる格好で入り  中を探すが母が見当たらず



丁度買い物に出かけていたようで    帰るまで待つ事に




怒り・・なのか  深刻さの現われか   沈黙の時間が   逃げたい思いで待つ母




何時間か忘れてしまったが  母帰宅   見た瞬間の母の顔も凍っていたようだった



ただ  どうなるのかと心配をよそに



やんわりと 子供でも解るくらいに猫なで声で   またやり直したいとのあの親



平行線続く


3度目の転校

期待は  裏切られました



またもや転校   理由は  もう一度やり直そうとの親



またもや  破局のようで   母に連れられて家を出た




しかし・・ 何故遠くに行かないのやら    なんと



同じ戸塚なのです



駅にしたら隣街でしたが   車なら20分程度  まぁそれでも見つからないと



思ったのかな・・   そして転校した今度の学校は



家から歩いて30分  遠いでした   裏道に川もあり表通りは車も多く街・・的なのですが




裏に入れば  まだ田舎風景の残る所で好きな街になりました



この頃は もう小学3年みなり   同級生や近所の子



よく遊んだ思い出があります   大通りの反対側には



切り崩し途中みたいな山もあって  秘密基地にしてたり



遊びに夢中で  五寸釘踏んで 足に刺さりながら帰宅した事も



しかし  流石はあの母   五寸釘見た瞬間  



「抜くな今アイスピックで錆寄せてから抜いてやるから」 



顔色も変えずに一言でした



冬にはスキーに行かせてくれたり   幼少時代の一番よかった時だと思います  

再起動

入学後  3ヶ月程した時



母が迎えにきた   ああ あの親とは別れたのかと思い  少し安堵の気持ちで



よかった早く帰ろうと私    だが答えは違っていて




もう1度だけやり直すチャンスを与えたの・・との母





えええ  まだ一緒に暮らすのかと私の思いは捨て置かれ




車は戸塚に到着    3ヶ月振りに見た親    どことなく大人しい



前記事にあげた幼稚園の時以来  時々 あった暴力



3ヶ月前までには   母親にも  度々見受けられて   調停になった結果がこれなのだから




とりあえず様子見との母    どうにもギクシャクした生活の幕開けです




そして 心機一転でか引越し   そう前記事に書いた  転校の始まりです



引越し先はわずかに  1キロ程度  だけど学区が違うと事で転校



あ,一度  新宿からも転校なので 2度目の転校に



なんとこの間 わずかに1ヶ月   名前どころか顔すら覚えていません



3度目の学校は 家に近い団地内のところで   遊んで帰るにはちょっと



物足りない距離でしたかな   あまり登下校の思い出がありません



この学校でやっと落ち着けるかなと  思いながら通学してました


小学生に

卒園して    小学生になろうとしてた時




ついに母親が動いた     そう離婚の調停に




その間  私は親戚に預けられる事になり




都内  新宿の小学校に入学      戸塚の田舎と違い



大都会新宿の小学校     校庭は狭く  校舎の屋上にも校庭の換わりに遊べるようになっていた




生徒数も多く   なかなか覚えられなくて   困ったものです



どうせすぐに 転校だからな・・  などと思いながら通学していた




それが転校だらけの始まりとは知らずに

心変わり

結婚

年も 増えて 4歳か5歳の頃に



親が結婚した    相手は大工   茨城出身の人だった



大工なだけに  体も大きく 力もあるし 職人としてもいい人だったようだ



この頃の思い出は     かなり覚えています



結婚を機に 横浜は戸塚に引越したようで    



当時の戸塚は   かなり田舎だったと思いますが   記憶してるのは



家の前は  原っぱで  補助輪付けた自転車を練習してた記憶があります



川も 土手 土のままで  青大将(へび)がいたり     虫も多く



網を持って走りまわっていたと思います



やがて    幼稚園に入り   通学が始まると



もう通学路は遠足に     大人なら5~10分の通学路ですが



幼稚園児には かなり興味を引く遠足でした   当時はまだ電線には雀の群れ



虫は飛び   道も狭くくねっていて     角を曲がるたびに



未知なる世界に出た感触に  気持ちが踊っていたようです



これからもっと楽しい事が毎日続くのかと



胸膨らまして  通園していましたね

始まり

今 振り返りつつ 書留たくなり始めましたブログです





私は   物心ついた時には   すでに母子家庭でした


横浜のとある商店街の裏路地に住んでいたようで   その頃の記憶はもう無いのですが



親が言うにはそのようです     家は親が美容師をしていて   いつも部屋に置き去りか



店の中を遊び回るかしていたようで   仕事には大変邪魔な存在だったと  今は思いますね



近所には仲がいい おねぇさんが住みよく遊んで貰えた事を 今でも少し覚えています



兄弟も無く  いつも部屋に置き去りだったので  たぶんその人位しか印象に残らなかったのかも



しれませんが,,,



年もこの頃は3歳あたりでした