冷やかな笑いをしてくる人達結構いましたね
特にブラジルでは日系人たちはブラジル人達から
オイ日本人と呼び捨てにされていましたから
ブラジルでいきなりオイ日本人と呼ばれて驚きました
黒人からもまさか自分かよと思いましたが..
しかもそれは完全に一段下に見ている態度だという事に気づきました
原因はマイノリティーの日系人たちがブラジルにあまりにも馴染もうととした結果
ブラジル人達に合わせて本当にくだらないジョークにもバカを承知で付き合い
彼らに合わせ過ぎた結果一気に日本人たちが舐められるようになったという感じでした
何も知らない日本人移民たちが弱肉強食の奴隷植民地制度の残る地でそう簡単に生きていくことは
容易ではなかった 銃装備した現場監督が出迎え白人の雇用主に逆らう事も出来ずに
ある意味黒人奴隷の代わりに日本人が働かさせられたわけです
ペルーでも農場に監獄があり逃げ出そうものなら放り込まれたそうです
初めからパトロンと使用人と言う関係で来た日系人たちは自分たちの意見も抗議も受け入れられず
第二次大戦では敵国人として日本語禁止3人以上の集まりも禁止など完全にブラジル政府の管理下に置かれ
勝ち組負け組と分かれ日本人同士のテロで殺し合うという悲劇まで起きました
自分たちは南米ではオイ日本人と呼ばれたときは
お前たちは人を呼ぶときに少しは教育があるなら様をつけるだろう
人を呼ぶときはまずはセニョールだろう違うかと聞き返しますね
アルゼンチンでは知り合いの日本人が呼び捨てにされ
怒りまくってアルゼンチン人にセニョールで呼べと怒鳴っていました
無言で受け入れるというのは自分たちより下だと思われる一因でしょう