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★社労士kameokaの労務の視角

ー特定社会保険労務士|亀岡亜己雄のブログー
https://ameblo.jp/laborproblem/


 

働く人の間で労働基準監督署を知らない人はいないといっても過言ではありません。なにか、労働に関して「法律違反ではないか」「おかしいのではないか」と思った瞬間に、労働基準監督署に確認しに行くケースも増えています。また、多くの場合は、労働基準監督署に出向かずに電話で気軽に聞こうとします。企業も従業員がなにか言ってくると労働基準監督署に確認しようとします。

 

その内容が、たとえ、労働基準監督署の業務管轄外の内容であってもです。従業員も企業も、監督署の管轄かどうかまで意識にありません。まず、労働基準監督署に行きます、聞きます。

 

しかし、労働基準監督署は万能の駆け込み寺、労働のすべてを対応できる場所ではありません。実際は、賃金、休日、労働時間、割増賃金(法定外残業、深夜、休日の労働時間分の賃金)、解雇予告手当、年次有給休暇、安全衛生など非常に限られています。

 

これらについて、国に与えられた監督権限により、行政として取締り、罰則付きで会社に遵守してもらおうという役割を負うのが労働基準監督署です。労働基準監督署で働く者は原則、国家公務員です。

 

したがって、一般の民事には介入できないのです。一般民事とは、解雇が違法かどうか、従業員の行為は競業避止義務に反しないかどうか、各種ハラスメントの違法性、低い人事評価は恣意的なものかどうか、違法な配転命令かどうかなどですが、これらについては、労働基準監督署は判断することはできないのです。

 

 このように労働基準監督署の行う業務は非常に限られていますが、従業員が相談等で訪れれば、話を聞くことは行います。そのうえで、労働基準監督署の管轄外の内容の場合は、労働局の労働相談・助言を案内します。

 

また、企業が、残業代を請求されて労働基準監督署に聞いたケースですが、時間の記録があって長時間労働であっても、「企業が残業はさせていない。本人が勝手に残ってダラダラしていただけだ」と言えば、労働基準監督署は、「確実に残業があったと言えるのは9時間分です」などとコメントするがゆえに、労使紛争へと発展している例もあります。

 

この例では、労働基準監督署は、時間記録を確認し、確実に法定時間外労働時間と言えるのは何時間あるかを指摘しているにすぎません。グレーの部分、つまり、本人がかってに残ったのか、従業員の働いた時間は指揮命令下にあった時間なのかについては、法的な判断が必要になるため、明確なことは言えず、そういった点は結論を出しません。

 

しかし、この例では、従業員が残業があったと言って対象としているのは、自分が働いた時間は指揮命令下にあった時間で、すべて業務時間だとしている点です。労働基準監督署は、中途半端な対応になります。

 

労働基準監督署は、労働基準法の条文に関する違反がある場合で、はっきりした記録で確認できる場合でなければ、グレーなコメントになると考えておべきです。

 

したがいまして、労働契約法に書いてあることの違反は、労働基準監督署の業務範囲ではありません。しかし、労働問題の実務をやっている経験では、根拠法として最も活用しその解釈を探り、あてはめることが多いのは、労働契約法のように思います。

 

よって、労働基準監督署は、労働に関するすべてを扱うところではないどころか、ほんの一部しか扱わないところだということを知る必要があります。

 

労働基準監督署は、上記のようにグレーな点は扱いませんから、今は、あっせん紹介所になってしまっています。

労働基準監督署:「まあ、あっせんていう制度があるから、やってみたら」「この申請書を出すだけでできるよ」

本人:「どう書いたらいいんでしょうか」

労働基準監督署:「そんなの適当に書けばいいんだよ」

 

この会話は、実際にあった例です。あまりにもひどい対応だと言えます。労働基準監督署の業務ではないためこうなるのでしょうか。労働者が知りたいのは、いきなりあっせんをやることではありません。

 

こうした例は後を絶たないのです。労働基準監督署が対応するだけに、本人はすっかりそうなんだと信用することにもなります。先の残業代や労働時間の企業の話も同様ですが、非常にリスクの大きい話です。

 

労働基準監督署は万能どころか、ほんの一部しかやらないことを知っておきましょう。また、労働基準監督署に話すにしても、詳細な事実を伝えなければいけないものは、電話ではなく、労働基準監督署に行って、対面で話しましょう。病気になった時の診察と同じなのです。

 

その1に続いて黙って行われた録音の証拠能力についてのお話です。

少しやっかいな点に触れておきます。民事訴訟で言いますと、争点整理の手続きの過程で、書証が利用されるわけですが、そのような民事訴訟法の世界が関係しない調整型の紛争解決においても、争っている点に関する証明資料あるいは疎明資料を利用する点では同じです。

※証明資料:事実の存在に確信を抱かせるような証明になる資料

 疎明資料:事実の存在が一応確からしいとう、確信よりも低い心証を抱かせるような資料

 

そこで、やっかいなのは、真に争いのある部分について文書(録音資料などを含む)が存在する場合は、その文書が作成者の意思に基づいて作成されたのかどうかが検討の対象になる場合があります。

 

民事訴訟では当たり前ですが、あっせんや示談交渉でも、会社側は、「録音なんかあったって、作為なんかいくらでもできるだろ」などと言う場合もあり、そのような時に関係してきます。労働者もそのように言われた場合への話の出しどころはポイントになります。

 

つまり、会社側からすれば、民事訴訟のプロセスに従って、録音資料の録音自体に信憑性がないことを指摘することで、証拠価値がないと主張しようという意図です。証拠能力とは別の問題で、証拠能力を問題にするまでもなく、真に自らの意思で録音した神聖なものでないものは証拠としての価値がないと言いたいわけです。労働者側は、録音が真実で、自らの意思で録音したものであることを主張することになります。

 

録音の場合は、日付を客観的に記録することはなかなか難しいですが、調整型の紛争解決では、1回の審議が2~3時間で終了しますから、そのことに時間をかけるわけではありません。

 

あまり、考えずに、提出できる証明資料や疎明資料は、とにかく提出し、主張をすることに尽きます。

 

社労士亀岡が熟読した労働判例の中に、以下のものがありましたのでご紹介しておきます。やや古い裁判例ですが、とても参考になります。さすがに当時はボイスレコーダーではありませんが、媒体がちがっても趣旨は同じように考えていいと思います。

 

●エールフランス事件・千葉地判平6・1・26労判647号11頁。

●   同    ・東京高裁判平8・3・27労判706号69頁。

 

会社の希望退職者募集を拒否したところ、暴力を含めた退職強要を受けはじめたことから、原告Xが、それらを証拠化し、かつ、牽制するために、上着やシャツのポケットにテープレコーダーを入れて録音した。Xが同意を得ずに無断で録音した証拠方法が問題となった。

 

以下、判決文の要旨です。

【証拠能力】

民事訴訟法は、いわゆる証拠能力に関しては何ら規定するところがなく、当事者が挙証の用に供する証拠方法は一般的にはすべて証拠能力を肯定すべきである。・・・・許されない手段すなわち著しく反社会的な方法を用いて収集されたものであるときには、それ自体違法の評価を受け、その証拠能力を否定されることになると解するのが相当である。・・・本件録音テープは相手方の同意を得ないで録音されたものである。しかしながら、ここでいう相手方は通常の対話の相手ではない暴力行為者であり、しかもそれが職場という密室で行われたために、これに対抗する手段として本件各録音テープの録音がなされたというのである。そのような状況下における暴力行為等を確たる証拠として残す手段としては、録音という方法が有効かつ簡単な方法であるから、録音テープの証拠能力を否定すれば相手方の違法行為を究明できないことになって、かえって正義に反する結果となる。それ故、暴力行為者たる相手方の同意を得ずにその状況を録音する行為は著しく反社会的な行為とはいえず、本件各録音テープの証拠能力を肯定すべきである。

 

【信用性】

被告は、原告Xが被告らに言いがかりをつけて挑発し、多少過激な口調を使用することを予測したうえで、実際に、いいがかりをつけて、そのような口調や言葉を録音したものであると反論した。しかし、裁判所はこれを認めず、「被告らを挑発した状況下で録音されたものではないことを前提に証明力を評価すべきものである」とした。

 

高裁でも同様に、証拠能力と信用性が認められています。先に挙げました、昭和52年の東京高裁の判決の一般論にしたがった判断基準を採用しています。通常の民事訴訟における証拠能力と証拠価値(作為なく、真に作成者の意思によって録音されたものかどうか)について判断をしていますが、一般論のあてはめでは、相手が暴力行為者であることをかなり考慮したものになっています。

 

暴力のない、単なるいじめ・嫌がらせやパワハラの場合に、録音資料がいかなる評価を受けるかは、事案内容により温度差は出てきますが、基本的な判断基準は、昭和52年の東京高裁判決の一般論だろうと思われます。

 

会社との直接交渉、あっせん、労働審判においても録音資料については、同様に取り扱っていいのではないかと考えられます。

 

労務実務的には、黙って録音したことの証拠の評価が以上のようであるからいいとはいえ、従業員が、会議、上司の言葉などを録音している行為を歓迎する会社はないでしょう。会社からすれば、危険人物扱いになり得るものです。

 

そもそも、従業員にとっても、スマートフォンやボイスレコーダーなどに録音するということは、録音媒体を家に持ち帰り、喫茶店や居酒屋に行く鞄に入れるなどするわけですから、ふと忘れたり失くしたりということがまったくないとは言えないわけです。その時点で他人が拾得すれば「漏洩」との評価に結びつく話にもなりません。重大な事件になるわけです。

 

会社としては防御策を講じることは必定です。ボイスレコーダーの持ち込みやスマートフォンでの録音禁止、もっと突っ込むと、可能な職場は、業務中のスマートフォン操作を禁止することも一案でしょう。最近はきちんと話を聞いて、きちんとメモをとることをしなくなっています。手で書くことをめんどうがるからです。しかし、基本はメモです。社内では労働者にそのことを教育すべきとも思います。労働者も、実務上は、録音行為は歓迎されない行為であり、注意・指導の対象になる職場もあることを肝に銘じておく必要があるかと思います。

 

言葉による人格権侵害行為などを残すため行う録音行為に留めたほうがいいかと思います。

 

 

 

パワハラなどの被害者がかってに上司との会話などを秘密に録音した場合の証拠はどうなるかというお話しです。

 

巷では、「秘密に録音しているということは、承諾をとってないのにかってに録音したのだから、その録音資料を法定や労働審判、あっせんなどの公的な紛争解決の場所で使用すれば、会社や上司は労働者に違法だと言ってもいい、労働者はそう言われてしまうのではないかという労使双方にとってもやもやが生じます。

 

まず、問題を整理して考えましょう。大きくは、秘密にかってに録音する行為の問題録音資料を使用する問題が考えられます。

 

民事訴訟法でも、違法収集証拠の証拠能力を否定すべきか否かは問題になっています。

従前は、証拠収集の方法に刑法や民法(実体法)上の違法があっても、証拠能力が否定されず、証拠の評価は、自由心証(裁判のおける事実認定を、現れた資料・状況を基に、裁判官に形成される心証にゆだねることで、法的な制限をしない)の問題とされていました。

 

でも、そうすると、証拠の収集において違法行為を助長するうえ、公平を損なうことが問題視されるようになったのです。一方、証拠の収集方法に刑法や民法上の違法があると、すべて証拠能力を否定するのも適切ではないと、これも問題視されたのです。

 

そこで、証拠能力を肯定する場合と否定する場合を振り分ける基準を求めるという考え方になったのです。

 

その考え方に基づいて基準を示したのが、東京高裁の裁判(東京判昭57・7・15判時867号60頁〔百選3版71事件〕)です。東京高裁の裁判にしたがえば、著しく反社会的な手段を用いて憲法の保障する権利、とりわけ人格権の侵害を伴う方法によって収集された証拠方法については、証拠能力を否定し、違法性の程度がこれに至らない場合には証拠能力を認めてよいと理解できます〔強調・下線は亀岡が付す〕(中野貞一郎=松浦馨=鈴木正裕『新民事訴訟法講義〔第2版補訂版〕』(2007有斐閣)347頁)。

 

憲法上の権利、特に人格権の侵害にあたる方法とは、たとえば、会話する者の精神的・肉体的な自由を拘束した状態でなされた会話の録音テープ、家屋に浸入して盗聴マイクを設置して録音したテープなどを言っています。これらは、相手の権利を侵害した行為にあたるため、その方法で録音しても証拠能力はないと考えられます。

 

私が下線を引いた違法性の程度がこれに至らない場合とは、たとえば、単に話す者の同意を得ないで無断で録音したテープなどを言います。このような方法で録音した会話内容は、証拠能力を有すると認められることになると考えられます。

 

参考として、昭和52年7月15日の東京高裁の裁判例で裁判官が述べている一般論の部分を『 』で引用しておきます。

 

『ところで民事訴訟法は、いわゆる証拠能力に関しては何ら規定するところがなく、当事者が挙証の用に供する証拠は、一般的に証拠価値はともかく、その証拠能力はこれを肯定すべきものと解すべきことはいうまでもないところであるが、その証拠が、著しく反社会的な手段を用いて人の精神的肉体的自由を拘束する等の人格権侵害を伴う方法によつて採集されたものであるときは、それ自体違法の評価を受け、その証拠能力を否定されてもやむを得ないものというべきである。そして話者の同意なくしてなされた録音テープは、通常話者の一般的人格権の侵害となり得ることは明らかであるから、その証拠能力の適否の判定に当つては、その録音の手段方法が著しく反社会的と認められるか否かを基準とすべきものと解するのが相当であり、これを本件についてみるに、右録音は、酒席における石上らの発言供述を、単に同人ら不知の間に録取したものであるにとどまり、いまだ同人らの人格権を著しく反社会的な手段方法で侵害したものということはできないから、右録音テープは、証拠能力を有するものと認めるべきである。(下線は亀岡が付す)』

 

つまり、昭和52年7月15日の東京高裁は、一般論で、録音の手段方法が著しく反社会的であると認められない限り、証拠能力を有すると言っています。これは一般論ですので、各事案における録音の手法が著しく反社会的なものかどうかを検討することになります。

 

次に、証拠を吟味する証拠調べにおいては、文書によって証拠資料とするものを書証と言っていますが、図面、写真、録音テープ、ビデオテープ、その他の情報を表すために作成された物体は、文書に準ずる準文書とされており、書証の規定が準用されます(民事訴訟法231条)。ちなみに、岡伸浩『民事訴訟法の基礎〔第2版〕』(2008法学書院)319頁でも記載されています。

 

補足ですが、民事訴訟法上の原則は、証拠能力に制限はない、つまり、限定などされていません(藤田広美『講義民事訴訟法〔第2版〕』(2011東京大学出版会)58頁、ちなみに、旧版では、239頁参照)。

 

整理しておきますと、無断で録音した録音資料は、著しく反社会的行為に該当する手段・方法によるものでないかぎり、証拠能力が認められると考えられますが、その録音データをネット上など、承諾なく他人の目につくような状態に置いたなどすると、録音資料の使用上の問題になると考えられますということになるかと思います。

 

以上、民事訴訟法の領域を参考にしましたが、あっせんや労働審判、示談交渉の際でも同様の考え方があてはまることになります。

 

 

 

2017年2月3日の産経ニュースに載っている過激な記事が目に留まりました。まずは、内容をご覧ください。記事全文です。

 

 フィリピンから来日して介護施設に勤めていた男女10人が、過酷な労働条件で働かされたとして、運営会社の「寿寿(じゅじゅ)」(大阪府東大阪市)に未払い賃金や慰謝料の支払いを求めた訴訟が3日、大阪地裁(菊井一夫裁判長)で和解した。双方の関係者によると、会社側は労働基準法や労働安全衛生法を順守せず、快適な職場環境を提供しなかったことを陳謝し、解決金として計約1千万円を支払う。

 同社をめぐっては平成26年、フィリピン人女性らを採用する際に「死亡しても会社の責任は一切問わず、全ての権利を永久に放棄する」との誓約書に署名させていたことが発覚。外国人労働者に対する待遇が問題となっていた。

 訴状などによると、原告の女性らは日本人と結婚していたが、離婚。会社は現地での勧誘の際、元夫との間にできた子供の日本国籍取得を支援すると説明していた。渡航費用や日本語学校の費用は会社が貸し付け、給与から天引きするという書類に、十分に理解ができないままサインさせられていた

 女性らは22~24年に来日し、会社が運営する複数の施設で勤務したが、日本人の職員に比べて給与水準の低い差別的待遇だったと主張。施設では1人で夜勤させられ、法定の休憩時間も取れなかった。また子供の国籍支援は実際にはほとんど行われていなかった。

 

ざっとこんな内容ですが、ニュース記事からみえる範囲でのことにしても、会社側はいささか過激にやり過ぎたようです。誓約書の内容がすごく、人格権侵害は明らかで、いくら制約させても公序良俗違反で無効になると考えられます。

 

死んでも責任とらないことを約束させても、業務との因果関係のある死亡はもちろん、安全配慮の点でも問題になる過激なものです。ここまでのレベルはめったに聞かないかもしれません。

 

とはいえ、外国人に対するものであることが企業の責任を重くさせています。何もわからないということを道具にしているとも思われます。

 

やはり、会社の決定は、労務の基本をわきまえたうえでの裁量や決定であることを前提にしなければ、今回のような問題になって、公のものとしてクローズアップされるという、教訓として受けとめるべきかと思います。

 

今回の例に留まらず、共通項になりますが、会社は何でも自由に決定できるというわけではありません。まず、法律に反する内容はいくら決めても否定されることになります。次に、労働者の人格権や自己決定権などの権利侵害に結びつく内容も否定されます。さらに、健康を害するなど身体・生命を脅かす内容も否定されます。

 

①雇用維持、職場環境への配慮、③理解促進、④合意といった労務の前提を遵守したうえで対応することが定石です。これらの点でどうしても不利益が及ぶ場合は、理由と手順を踏まえたうえで、慎重に取り組むことが企業のリスク対策につながると考えます。

 

 

 


日々、相談を受けている中で、多くの事案で登場するものの一つに「始末書」があります。「始末書」は、雇用社会や雇用の現場では、言葉としては当たり前のように飛び交い、企業は労働者に対し、「始末書を書け」と言っている場面が多いようです。
 
多くの場合で企業は、その発する「始末書をかけ」に疑問を感じていないようです。労働者は反対に、大いに疑問になっているようです。疑問の中味は、「どうして始末書をかかなければいけないのだろう」「書かないとどうなるのだろう」「そもそも始末書を書かなければいけないほどのことなのだろうか」というものです。

実際、労働者のほうは、「始末書を書け」と言われても、あからさまに反発をしてもまずいと思いあっさり応じてしまう場合、「なぜ始末書を書かなければならないのか」と自問自答して、書く理由がない場合は、拒絶する場合もたくさんあります。
 
「始末書を書け」-これに「応じなければいけないのか」「断ってもよいのか」、企業からも、「従業員が始末書を書かない、命令にそむいている。どうしたらいいか」などの相談も多く受けることから、「始末書を書け」の基本を裁判例に基づき整理しておきたいと思います。

懲戒処分規定に始末書を書くことの定めがなければいけない

企業側が発する、「始末書を書け」という言葉は、労働者が聞けば、企業の命令と受け止めることになり、企業も会社の命令と位置づけているようです。そう、企業側も、あたりまえの業務命令として「始末書を書け」となんのためらいもなく発しているようです。企業側の命令だから労働者はしたがわなければいけないと考えている企業も多いようです。労務の専門家の中にもそう考えているケースが多くあります。
 
先日、ある業界団体で、労務の講演をさせて頂いた際にも、「従業員が何かしたら、とにかく始末書を書かせて取っておけばいいですか?」と質問されました。こうして、実行に移す前に質問があると安心します。

始末書を書くことは、就業規則の懲戒規定として取り決めがされているのが通常です。まず、企業も労働者も、この点を就業規則などで日ごろから確認をされたほうがいいでしょう。これまで、多くの裁判例は、懲戒規定に規定されていなければ始末書を書けと命じることはできないと説示しています(丸十東鋼運輸倉庫事件・大阪地堺支決昭53・1・11労判304号61頁、丸住製紙事件・高松高判昭46・2・25労判139号72頁〔ダ〕、品川工業事件・大阪地決昭53・3・17労判298号66頁など)。

つまり、企業の始末書の記載・提出を意味する言葉は、懲戒処分としての趣旨になります。これは、一般的な例として、譴責(けんせき)処分では、「始末書をとり将来を戒める」などのように規定されています(「戒告」は始末書提出を伴わない処分と考えられています)。減給の制裁でも始末書をとることが規定されている場合が多いと思われます。ぜひ、懲戒規定を確認されることをお勧めします。

実際、丸十東鋼運輸倉庫事件では、始末書提出の意義について次のように述べています。「・・始末書提出というのは、被処分者に、自らその非違行為を確認し使用者に対して謝罪の意思を表明すると共に将来非違行為を繰り返さないことを誓約する旨を書面に認めさせて提出させるもの」です。その意味で、労働者に、懲戒処分の対象となる非違行為があることが前提になると考えられます。実務上も踏まえるべきものと考えます。


従業員は始末書命令に背いてもいいのか

次に、「始末書を書く」ことが懲戒規定に定められている場合、「始末書を書け」と言われたら労働者は書かなければ、懲戒規定に反することになるのかが問題になります。始末書を書くことは、あくまで懲戒処分としてなので、懲戒理由に該当する行為がないのであれば、「始末書を書け」と言われても、書く必要性はないという論理も成り立つように思えます。ただし、懲戒処分に該当する行為か否かは、労使で主張が異なることが多く、真っ向から対立紛争になるでしょう。企業の注意点は、「とにかく書け」と強引に押し切らないことです。そこまでして始末書をとっても、労働者からは、「むりやり書かされたもの」となってしまいます。

それは、「労働者は命令に背くことにはならないのか」-多くの相談者の疑問もこの点に集中しています。労働者にとっては、企業から言われた場合は、命令だと受け止めるのも無理からぬことです。しかし、「始末書を書く」ことは、懲戒理由に該当したときの懲戒処分なので、懲戒処分は、そもそも業務命令ではないと考えられます(前掲の丸住製紙事件、品川工業事件など)。もちろん、裁判例には、業務命令であると説いている例もありますので、絶対そうだというものではありません。ただし、懲戒処分をしない(免じる)かわりに、始末書の提出を命じる場合は、無効とはいえない可能性があるようです(土田道夫『労働契約法』426頁)。

企業も、懲戒規定に該当しないのに、「始末書を書く」ことを命じられないから、懲戒規定に該当しない、懲戒処分を言われていないのに、「始末書を書け」と言われたら、書いて提出する義務はないと考えていいでしょう。懲戒処分及びその理由等を通知せずに「始末書を書け」との企業の実務対応が散見されるところですので注意が必要です。


始末書提出に応じない、非違行為との関係について

労働者が始末書提出に応じない場合に、業務命令による提出強制や改めて懲戒を課すことが可能かについては、否定的な考えが有力又は適切と考えられています(土田道夫『労働契約法』426頁、菅野和夫『労働法第11版』661頁など)。書かない、提出しないことで、上司との人間関係的、組織内でのぎくしゃくはありますが、このような始末書提出命令は、法的に断ることはできないかと問われれば、労働者は断ることができると考えられます。企業としては無理強い=強要は禁物です。

もっとも、実際は、非違行為に該当するものがないのに、遅刻をしただけで、始末書の提出を求めたりすることも多く、労働者が何か企業のルールを守らないとすべて始末書を要求するパターンも多く見られるところです。ルールを守らない=非違行為とは必ずしも言えませんので、検討が必要だと思われます。また、企業側でも、労働者の行為が非違行為に当たるか否かが吟味されていない場合が多いように思えます。

もっとも、個々の事例では、「始末書を書け」の前後の行為にも注目して見る必要があります。たとえば、配転命令を拒否したら出勤停止、その後、「始末書を書け」と言われ、拒否したら解雇された事件では、配転命令を拒否することが懲戒理由に該当する行為か否かということもありますが、配転命令自体が人事権の濫用と判断されたため、出勤停止、始末書の提出という懲戒処分の根拠がないと結論づけられています(前掲、品川工業事件)。

では、懲戒処分の対象ではない行為に対し、懲戒処分の付随処分として管理者が不始末をした労働者に始末書を求めることは、許されるのでしょうか。この場合は、懲戒処分がダイレクトに関係しないので、命じた始末書提出に法的効果はなく、事実行為にすぎない始末書提出命令であるため、違法とは言えないと考えられています。言葉は始末書と言っていても顛末書や報告書の趣旨の場合もありますので検討が必要です。顛末書や報告書の場合は、業務命令の可能性も出てきます。

いずれにしても、始末書提出命令に労働者が応じないからといって、さらに提出を強要したり、不提出を理由にさらに不利益な取扱をしたりすることは許されないと考えられます(丸十東鋼運輸倉庫事件)。同事件は、「労働者の良心、思想、信条等と微妙にかかわる内的意思の表白を求める」ものが始末書であると述べています。この丸十東鋼運輸倉庫事件は、やや古い裁判例ですが、始末書について実に詳細に説いていて、実務上も有益です。


結局、始末書提出命令とは何か

比較的最近の裁判例である中央タクシー(本案)事件(徳島地判平10・10・16労判755号38頁)でも、「始末書の提出命令は、懲戒処分を実施するために発せられる命令であって、使用者の業務命令の範疇に属するものとはいい難い上、始末書の強制は個人の尊重という法理念に反する」と、かなり明白に述べています。懲戒処分としての命令と業務命令は異なることを示唆しているものとして参考すべきかと思います。

丸十東鋼運輸倉庫事件で述べられている「良心、思想、信条」と始末書の関係や中央タクシー事件でいう個人の尊重と始末書との関係は、労働者の内心は自由であること(憲法19条)から、始末書の強制が許されないことを意味していると受け止められると考えます。

こうして、裁判例を具にみると、特殊な事情がある場合は別として、始末書の提出は、懲戒処分としての命令であるというのが裁判例の考え方になっているようです。したがって、企業の始末書の提出命令が妥当なものであるというためには、労働者に非違行為があり、それが懲戒処分の理由に該当するものであることが求められると考えられます。こうした要件に該当しない「始末書を書け」は、労働者は拒否できると考えられます。

ただし、上記で触れたように、懲戒処分に直接関係しない場合は、単なる事実行為と考えられるため、さらに企業は始末書の提出を強要できないので、拒否でいるということになります。もちろん、就業規則の懲戒規定に始末書の提出が規定されていなければ、始末書記載の話もできません。

当然ながら、作業場のミスなどに対し、「始末書を提出しなければ処分する」と威嚇して提出を強要することは不当です(第一学習社事件・広島高判平3・10・24労判607号146頁)。

また、労働者が始末書を提出しないことで、企業が反省不十分と判断して、仕事外し的な扱いをしたことから、労働者が不眠症などにり患した例では、権限を逸脱し、人格権侵害にあたるとした例があります(日本郵便逓送事件・京都地判平16・7・15労判880号112頁)。実際に、こうした企業側の対応はあちらこちらで散見されます。態様や目的によっては、違法な行為に該当する可能性もありますので注意が必要です。

少々長くなりましたが、参考になりましたら幸いです。