家を出てしばらく歩いていると悪い予感がするときがある。
遠くで鳴っていた太鼓がだんだん近づいてくるようないやな予感。何かを忘れているような、大事なものを置いてきたような、誰かに追われているような。遠い太鼓はふとした時に聞こえてくる。
毎日見た夢を覚えているわけではないが繰り返し見る夢の一つに自分が殺人犯であるというのがある。
人を殺すシーンが夢に出てくるわけではないが、誰かに追われていてそわそわどきどきしている夢だ。
昔見た夢の中でも鮮明に覚えているのは結婚当初住んでいた浦安の借家。玄関を上がってすぐの居間で妻とふたりで夕食を食べている。玄関はガラスの引き戸で外の様子はなんとなくわかる。小さな路地のようなとおりに面しているので外は暗いだけ。そこに赤色灯を回したパトカーが止まる。ついに来たかと覚悟を決めたわしは、妻に実は人を殺していたことを告白するという夢。
それほど悪いことをした事実はないのだが映画の見すぎだろうと思っていた。
茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート「河合隼雄さんは、作家の筒井康隆さんと親交があった。筒井さんは、ある時期、人を殺す夢を繰り返し見たのだという。それを聞いて河合さんは言った。ああ、筒井さん、それはね、あなたが本当に人を殺したことがあるからですよと。それで筒井さんは思い出した。若い時、役者になる夢を諦めた。 」
この茂木さんのツイートを通勤途中に読んでなるほどと気づいた。
殺したのは自分自身だった。
この筒井さんの対談本は読んでいるがそのときはぜんぜん気づかなかった。通勤途中の電車の中で小さな画面の引用されたテキストではたと気づいてしまった。
漫画が大好きで漫画家になるのが夢だった小学生だった自分を殺し、その後経済的な理由や周りからの助言や自分自身の中でも望む前に諦めて何人もの自分を殺してきた。
その自分に対する負い目が遠い太鼓となって鳴っているんだろう。
これからもいろんなものを選んで判断して諦めて殺していくだろう。
しかし、自分にとって本当に大切なものは殺さずに生きないとインディアンの遠い太鼓はいつまでたっても鳴り止まない。
そんな気がする。
遠い太鼓に誘われて、私は長い旅に出た、古い外套に身を包み、すべてを後に残して
トルコの古い歌 - 村上春樹
http://www.youtube.com/watch?v=xTdNHaf4K5I