日記は今までmixiに書いていたがこのところの衰退でmixiやってない友達が多くこっちにも書けというのでバックアップもかねてこっちにも書くことにします。
mixiのマイミクさんは同じ内容なのでスルーしてください。
この世界は似たような事物が似たような事象を起こし、しかし、少しずつ違う世界が重なり合って出来ているという説がある。パラレルワールドだ。
そしてパラレルワールドは遠い世界に存在するのではなくほんの細胞ひとつで隣り合わせになっているという。
夏から9月、連日残業が続き帰宅してシャワーを浴びてご飯を食べてすぐベッドへ、それでも朝は6時に起きていつものプラクティスを粛々と行うという生活パターンが続いた。寝る時間を「今日中」と決めているため帰る時間も逆算するとデッドラインが決められる。
自分の生活のために仕事をしているのに仕事のために生活パターンが乱れるのは本末転倒と勝手な持論を自分だけに適合して残業が深夜に及ぶのを避けていた。つまりはやって9時半~10時までと自分でルールを決めたのだ。それで終わらない仕事は明日に回せばいい、明日に終わらなければ明後日、仕事の期限までに終わらないのはわしの仕事ではないと。
プロジェクトマネージャからみれば勝手な理論に基づいたルールだ。しかし、ルールはルールそのルールに従ってわしは仕事をしていた。
なので、本当は最低11時までには帰りたかった。そうしないと今日中に寝るためには何かを端折らなければいけない。端折っても構わないものは何一つないように思えた。職場から自宅まで1時間半前後。
その日は9時半過ぎまで仕事をして地下鉄駅まで約10分を歩く時間がもったいなかった。職場の目の前にあるバス停留所から乗換駅まで5分ほどで行くのでいいタイミングでバスが来てくれると帰宅時間は10~20分は違った。しかし、バスは時刻表はあってもいつ来るかわからないのが現実だった。
「ああ、バスすぐ来ないかなぁ・・・。」と思いながらビルを出て残暑の残る夜の中を歩き出した。この時間になるとバスの本数は激減して1時間に2~3本くらい。タイミングよくバスが来る確立はかなり低い。
しかし、門を出るころはその漠然とした思いは願いになり、そして念になっていった。
「バス来い」
「バス来い」
するとどうだろうバスは来たのだ。
なりすましノーベル賞学者のツイートではないがまさに「キターーーーーーーーーーーーーーーーー! ヽ(‘ ∇‘ )ノ 」てな感じ。
念ずれば通ずってほどに念じたわけではないけどとにかく通じた。
乗客もまばらなバスの席に座って「いよいよいい感じの世界に入り込んだんじゃね?」と思った。そして「これで巣鴨ですぐ山手線に乗れれば完全にこっちの世界に入ったと考えよう」などと都合のいいように解釈していた。
バスは白山通りを5分ほど走りJR巣鴨駅前に到着した、改札をとおりホームへの階段あたりでプラットフォームには内か外かどちらかの電車が到着している雰囲気が感じられた。
「やったーー」と思いつつ階段を下りるとちょうど乗りたい方の外回り電車。急いで駆け下り乗ろうとしたところで山手線外回りのドアは閉まった。と同時にいい感じに行けるもうひとつの世界への扉も閉ざされたのだ。
不思議と落胆はなかった。まぁ、こんなものだ今までこの世界で生きてきたんだこれからもこの世界にいればいい、などと本当に自分勝手に解釈して次の電車を待った。
時刻表どおりにさっきの電車に乗っていれば普通に乗れた電車が過ぎ去った後に日暮里駅に到着する山手線外回りは到着した。
日暮里駅は一本前の常磐線に乗客が乗り込んだ後の閑散としたホームでスマホでもいじるつもりだったが、ホームには妙に人がいる。
乗れなかった電車が遅れていたのだ。
「やった。まだ世界には見捨てられてない」次の電車の予定時刻より早く到着した一本前の電車に乗り込んでまだこのまま世界にとどまっているのを実感した。
その後、順調に帰宅し、今の世界よりひとつ隣のいい感じの世界に入り込んだわしはそんなこともすっかり忘れてシャワーを浴び遅い夕食を食べベッドに入った。
はたしてこれは日記といえるのだろうか?