こんにちは。


今日も溶けそうなくらいの猛暑日でしたね滝汗



さて、本日は前回の続きです。


ラボ・テューター(児童英語講師)となってから

読みあさっていたのが

有名な言語学者の鈴木孝夫先生の本です。



「日本人はなぜ英語ができないか」

これを読んで

英語が話せる=すごい!
バイリンガル=かっこいい!


 という図式が
私の潜在意識の中にも
知らないうちに刷り込まれていた!

という衝撃の事実に気づかされました。ガーン

この本には
・日本が地理的に言語を脅かされることなく

 済んだこと。
・歴史的に見ても、卑弥呼の時代から

 遣唐使、遣隋使…などと

 進んでいる外国から学び、

 良いとこ取りで真似して、自国の文化に

 混ぜ込んで発展させてきたこと


などが書かれていた(と思います。)

外国語を学べるのは、社会的地位の高い一部の人だけで、その人たちは国益のために外国語を学ぶ任務があった。


外国語ができる=高い地位の人


そこから、鎖国時代を経て明治維新。
政治的に外国語を使わなくてはならない人はもちろんのことながら、
外国との商売で財を成した人々が、西洋の服を身にまとい、外国の珍しい品々に囲まれているのを、一般の人々が憧れを持って見つめていたことは、想像に難くないですよね。

そこで、

外国語ができる=金持ちになれる
外国語ができる=憧れるわキラキラ

と刷り込まれていった。という考察でした。

そんな風に外国語ができることに対して
変な憧れを持っているのは

日本人くらい



…なのだそうです。



本の中でも、先生は、はっきり
「特別でもない人が母語以外の言語を
日常的に使えるということは、
多くの場合その人が経済的、政治的、民族的などの理由で、弱者の立場にあることを意味します」
と論じていらっしゃいます。


確かに…
インドネシアに行った時も、タイに行った時も
日本語と中国語を操る売り子さんに
すごいですね〜と言ったら

話せないと商売できないよ

と言われました。


彼らにとっては必要に迫られて、必要な分だけ覚えた、というだけ。
日本語の難しい論文を読む為に日本語を覚えたわけではないので、話せるけど読めないとのこと。

そうか、世界の人々からみたら

外国語ができることって、

そんなにすごいことではないのか…ガーン

私も、どこかで、英語が話せることがすごいことだと思っていたんだなぁ。


と気づいた瞬間でした。



鈴木先生は8カ国語?いやもっとだったかな?
操れる方ですが

それを自慢げに外国の教授に言ったら、

「可哀想に…」と同情された

とおっしゃってました。笑い泣き

英語ができる事は、明治時代のように、
金持ちになることでも、
かっこいいことでもなく、
あくまでもツール(道具)。

そのツールを使って

   何がしたいのか?

そのツールを使って

   何を伝えたいのか?

人としての魅力や人間性や中身の方が
何倍も何倍も大切。



そうだな…
私は、このツールを使って、日本文化の素晴らしさ、日本の教育の素晴らしさ、
人を想う気持ち、譲る気持ち、奥ゆかしさ、
和の文化などを伝えたい。

あるいは、私が直接伝えなくてもいいけど、
通ってくれている子どもたちには、

英語というツールの使い方を覚えておいて欲しい。
そしていざという時にこの道具を使って、
自分のしたい事をして欲しいです。



そんな事を色々考えさせてくださった
鈴木孝夫先生、心から感謝しています。





ご縁あって、

私はずっと研究会でご一緒でき

大変嬉しく思っております。
現在も矍鑠とされ、

いつもダンディで素敵ですキラキラ


先生のご本、ほとんど持ってますが
これを書きながら

うる覚えのところが多いので…

また読み直そう と心に誓いました。真顔



先生いつまでもお元気で。





鈴木孝夫先生が、1ファンとして応援したいと

理事などにならずに、

無償で応援してくださっているのが

ラボ・パーティです。




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