平成最後の一日。
いつもと変わらず、、だけども、その瞬間瞬間が奇跡のように幸せに満ち溢れた一日。
誰かを想って一生懸命に走れた一日。
健康でワンパクな娘を追いかけまわせた一日。
幼少期の昭和、10代からの平成、そして40代から始まる令和の時代✨
今日はきっと、日本中の人が、自分の今までの人生と、そしてこれからを想う一日じゃなかろうか



ということで、ざっくりと私の昭和→平成を辿って見ようと思います(笑)
《幼少期》
びっくりされるのだけど、
ホントにホントに、人見知りが凄くて、いっつも母親の後ろに隠れて出てこない子供だった。
↑このオンブされてる人よりずっと人見知り凄い、なかなか育てにくいお子さんでした、私。
両親の苦労と心配がハンパないな、きっとww
新しいもの、はじめての人、全てが恐怖だったなぁ。
内弁慶なので、基本は活発な子。
だけど、ホームグラウンドじゃないと全くダメで、幼稚園なんて死ぬほど嫌で毎日毎日泣きながらばあちゃんに手を引かれバス停まで行く、
有名な泣き虫っ子。
バスに乗せられると、下を向いてシクシク諦めるの。
幼稚園での記憶はゼロ。楽しかった記憶も、楽しくなかった記憶も、な〜にもない(笑)
写真撮られるのも嫌で、いつもブスくれてニコリとした写真がないw
他人には絶対に懐かない。はじめての人なんて、顔も見ない、お喋りなんかもってのほか。
マジで可愛げ無い子供やわ〜

《昭和の小学生時代》
入学式の写真とか、ブスくれて睨んでる(笑)
相変わらず、学校にも行きたくないし、授業で手をあげるなんて、絶対にイヤ!!!
朝礼での、
先生「○○さ〜ん」
生徒「はい!元気です!」
を言わないといけないのが、日々の苦痛。
みんなの前で声を出すのが恥ずかしいというか、イヤで、めっちゃ蚊の鳴くような声で返事してた記憶がある。
1年のマラソン大会では、最下位でゴール。
先生と母親に手を引かれながら、
「お腹が痛いよぉ〜😭」と号泣。
他の生徒に「がんばれ〜」と声援を受けながら、最下位で門をくぐる、学校で必ずいるタイプの弱っちい子供👶
※マラソンが死ぬほど嫌いで、マラソンがある日は朝から必ず腹痛。なんでこんなキツいことをしないといけないのか疑問で、どこでコケようか…道を間違えたふりをして…とかズルいことのみを考えながら走ってた(笑)
でも、気が小さいので実行には一度もできず(笑)
↑↑まさか、こんな事になろうとは、私の親が一番ビックリやと思うw
《平成〜小学4年》
私の記憶では、本当、平成になった頃、意識がバーーーンと変わって、『自分を前に出す』ことができるようになってきた年頃に突入。
小4の時、学芸会でナレーターに立候補する。
活発な子が劇で、それ以外の大人しめが楽団、みたいな雰囲気があって、先に「劇をしたい子〜!!」みたいに立候補していくんだけども、
はじめて『やってみたい!でも、舞台で演技は無理だから、台本のあるナレーターで!』と立候補。
多分、仲の良かった子と一緒だったから、だと思う。
そしたら、そのナレーターでの舞台が、メッッチャ気持ち良かったというか、達成感というか、充実感というか…
『私、やったったわーーーー‼️』
みたいに、自信がついたのを覚えてる。
なんか、それが私の中のはじめての変革、革命だったなぁ。
やっぱ、人は成功体験って大事。
成功体験は、チャレンジしなければ起き得ない!
《中・高校生》
とにかく、部活、遊び、に明け暮れた学生時代。
中学から始めたブラバンの部活では、姉の影響でフルートを担当。
ゴリゴリ系の楽器じゃなくて(てか、ゴリゴリ系の楽器てなんや笑)、繊細系の楽器ってゆーのが、小学生の頃の名残かな(笑)
夏の大会では、九州大会まで行く感じで、勉強より部活!!な中学時代。
高校は、全国大会の常連校のOB達が作った社会人バンドに入ってた。
これまた、九州大会まで行くので、勉強よりバンド!てな具合で、夜な夜な放課後には練習に明け暮れる。
あと、バイトね。
あと、夜遊びとかもね。(これは内緒やけどw🤫)
中高、勉強したのは試験前くらい。
バスの移動時間とバンドの練習の休憩時間とかw
だけども、いちお、落ちこぼれではなかったような気がするw(気にしてなかっただけ??)
高校卒業後は、美容学校へ。
17歳くらいの時に、『私はどう生きたい?』と自分に問うた時、
『人をハッとさせるくらい、幸せにしたい』と思った。
それか、その頃の自分には《美容師》だったのですよね。
仕事はツールなので、何であってもいい。今はそう思う。
*・゜゚・*:.。..。.:・*:.。. .。.:*・゜゚・*
20代、30代がまた壮絶というか、激動なのだけど、そこは割愛(するんかいっ笑)!
激長くなるから

過去を振り返ると、失敗も成功も、全てがどれも無駄なく繋がっていて、必要な経験としてカウントされていってて。
というか、本当は失敗なんてないのだよね。
一歩踏み出したからこそ、見える景色が変わって、感じ方が変わって、新しい自分へ生まれ変われる。
私は、自分がめっちゃ人見知りだったからこそ、娘やその他の人見知りの人の気持ちが良く分かる。
それは気質であり、素質であり、経験でもある。
人は必要な時に、必要なものを手にして、もう神様から決められているみたいに、自分が自分に約束してきた人生の使命を辿っていくのだなぁ、、と。
チャレンジできる環境に感謝✨
その環境を、諦めず必死で作ってきた自分自身にも、感謝✨
ヒヤヒヤしながらも、見守り援護射撃をし続けてくれた両親にも感謝✨
40超えてもワンパクな私を受け入れてくれる家族にも感謝✨
自由で平和、愛をもって許し合える時代となりますように。
地球上の全ての子供たちが、未来への夢と希望を持てる時代になりますように。
全ての生き物が、その使命を果たすべく命を輝かせられますように。
新しい令和への期待と、自らの新たな誓いを胸に

縦ではなく、横で手を繋ぎ、共に循環し繋がっていくイメージ。
平成の時代に出逢ってくださった皆さま、ありがとうございます!!
そんな想いを抱きつつ、、次のステージへと、共に明るい未来を作っていきましょう〜
よろしくです❤️



