宮古島創世記@神女(ツカサ)からの伝承3 | 星を楽しむ「あとりえlablum」からのメッセージ*.。o○o。

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西洋占星術が始まった紀元前2000年頃は天文学と同じ学問でした
悠久の歴史の分だけ、携わって来た先人の果てしない知恵が盛り込まれています

これからご紹介するお話は、民俗学者の谷川健一氏が1971年頃宮古島の下崎に位置する万古山(バンクヤマ)の御獄(ウタキ)で会った神女(ツカサ)の与那覇メガさん89歳から伺った宮古島創世記の伝承です。

途中、わかり易い配慮の元、西洋占星術と絡めてご紹介をさせて頂いております。


*宮古島帰省の折に撮影しました、バンク山です
 サニツ(大潮)の日でした。
 「太陽(ティダ)の洞窟(ガマ)」は、右側の岬の方です。





それらの共通点は、何れも自然から派生する事柄です。

つまり「自然」と言うキーワードで同じ香りを感じるからです。
また、私の長年の研究テーマでもあるからです。


神女(ツカサ)の与那覇メガさんの伝承で万古山(バンクヤマ)の「太陽(ティダ)の洞窟(ガマ)」のお話と来間島の「太陽(ティダ)の洞窟(ガマ)」のお話を前回それぞれ2回に分けてご紹介いたします。





※「太陽(ティダ)の洞窟(ガマ)」とは。.:*・゜・*:.。.:*

観念的な意味で「東方にある太陽の上がる家」の意味です。

つまり、太陽(アマテラス)が住む家となります。

沖縄では、昔から人間の生死は循環的なもので、蝶がさなぎから変態し、脱皮して成虫となる状態と似た様に「死」と「生」が同居している事が関連していると思われます。








画像は万古山(バンクヤマ)近くの浜です。蝶が多いです。
そして、警戒しません。
観光地で開発が進む中にあってここだけは手付かずの自然が残されています。






今回は、「太陽(ティダ)の洞窟(ガマ)」に関連する、まことしやかな太陽光線が感情に変化した説話をご紹介します。



宮古島本島の西に位置する伊良部島の佐良浜(さらはま)のお話です。
このお話は、「太陽(ティダ)が洞窟(ガマ)」に関連してストーリーを練り展開させたお話です。



伊良部島




昔、伊良部島の佐良浜(さらはま)に2人の兄と妹の3人が住んでいました。

妹がトイレにいったとき、東側から太陽の光が差し込んできました。
太陽の指が妹の下腹に入り、彼女は太陽の子をやどしたのでした。


しかし2人の兄はその事実を頭ごなしに疑い、他に相手がいるのではないかとせめたので妹は逃げて世を儚んで黄泉の国へと旅たちました。








妹は、神として召されました。

そして佐良浜の「「太陽(ティダ)なしの御獄(ウタキ)」に祀られるとき2人の兄たちは罰を受けたのです。

3人の兄弟が住んでいた家は、投げ落されました。

投げ落とされた家の跡地は、一変して「通り池」に様変わりをして、夏になると、鱶(ふか)の群れが背びれをみせて泳ぎまわる底なし池になったそうです。






通り池


「通り池」は伊良部島の下地町に位置して外海につうじており、水深の深い池なので底が見えません。ゆえに、気味が悪いくらい水の色は黒と青が混ざった、底なし沼のようです。

比較的この辺り、宮古島の中で伊良部島の海は透明度が高い海に囲まれていますので、余計に気味の悪さはひとしおです。







ここで当然注目されるのは、太陽の光線によって孕(はら)むという一条です。

これはいうまでもなく太陽光線に感情を浴びせた日光感情の説話にほかなりません。












太陽系の動植物は、全て太陽のまばゆい光の恩恵を受けて暮らしています。

西洋占星術も同様で太陽の光を浴びて情緒的な行動、言葉、エネルギー源、人間関係の構築、金銭問題、常識、忍耐等の星々に注ぐ事で社会的に認知させていくのです。


解釈にあたっては、太陽系だけでなく遥か彼方の恒星にも及びます。











幼い頃に、天文の知識のない母に見せられた数々の星々を思い出しながら。.:*・゜・*:.。.:*
ふと遠い昔に浸りながらさまざまな事空想しています。



古代宮古島では、きっと、占星術に似た様な知識もあったようにも思い始めています。

それらは、まだ解明できないでいる砂川暦(うるかれき)の存在も原動力となっています。
















西洋占星術を長年研究しています。

開業以来口コミで展開してきました。

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