私の仕事(アメリカの大学の教員)には定年がないので、亡くなる直前まで働いている人がけっこういます。現役で亡くなると学部や大学がお葬式の案内を流してくれたり、お別れ会を大学内でおこないますが、退職してから亡くなった方の場合、お知らせも来ないことがあります。
亡くなる直前まで働いていた先生の場合、最後の1−2学期をサバティカルという有給で休んでいた方もいるし、本当に直前までクラスで教えていた方もいました。
私の学部に(おそらく)90歳くらいのアジア系の教授がいます。コロナのあと見かけないのですが、まだ退職していたというお知らせもないし、亡くなったというお知らせもないので、さすがにクラスは教えていないと思うのですが、まだ現役として席が残っているのだと思います。
私は、あと数年でリタイアする予定なので、その時まで元気に教えられたらいいなと思っているのですが、リタイア後に「所属」がなくならないように何らかの役職をもらっておいたほうがいいとアドバイスしてくれる方もいます。
それは退職後も学会に出席するとか、本を出版するとかという場合に(〇〇大学教授のような)肩書きが必要になるからであって、そういう活動をしないのなら必要ないと思われます。
私はリタイア後に学会に参加したいという気がまったくありません。歳を取ったら懐かしい顔ぶれに会いたいという気持ちが出てくるのかもしれませんが、もともと仕事がらみで知り合った人と会うのに会いたいかどうかも微妙だし、そのために学会に出かけるという気にはならないと思います。
今年はすでに2つの学会で発表することが決定しているのですが、今後 あと何回 論文を書いて発表するかな〜と考えたら おそらく片手で足りるのではないかと思います。もう過去20年以上、毎年 何回も参加してきたので、本当に後陣に道を開けてあげたいと思っています。
なんでこんなことを書いているかというと、最近になって私の専門分野の老齢化というか人材不足が日本でもアメリカでも話題になっているからです。そういうニュースを見ると、引き際って大事だと思うようになりました。