最近自分の中で気になっている『承認欲求』と『自己顕示欲』について私なりに文献などを読んで考えたいことを何回かにかけて書いていきます。家族関係についての記述もありますが、私の家族や親戚ではなく私が見てきた家族関係で気になったことを紹介させていただきます。
承認欲求に支えられる『やる気』
以前に【毒親】(Toxic Parents)というトピックでブログ記事を書きました。
この時は子育てジャンルにお引越ししていて、よく子育てブログを書いている方の記事を読んでいました。そこでよく出てきた「毒親」という言葉に興味を持ちいろいろ文献を読んだり、自分自身の子育てを振り返りました。
教育心理学や児童心理学の文献を読むと、親の愛情が子供の性格形成や学習意欲に影響を与えるということが書かれています。でも自分自身がリサーチャーとして様々なデータを収集する中、「親の愛情」のような抽象的なものを数値化して、子供の成長や出来高(というと言葉が悪いですが何かスコアとして表されるもの)と比較して相関関係を出すのは不可能ではないかと思っています。もちろん「傾向」を示唆することはできますが、割と一般の方(研究者ではないという意味です)はこういう論文のある一部分を一般的な記事に書き換えられたものを見て「こういうものだ」と判断してしまうこともあります。
そのため、先にこれはなんの科学的根拠もない 私がいろいろな文献から考察した「仮説」だということをふまえて読んでいただければ幸いです。
一般的に言って将来のビジョンがハッキリしている人、目標に向かって突き進める人は成功する確率が高いと言われています。「絶対にこれを成し遂げたい」という強い願い(欲求)があれば人間は「やる気」を出し「努力」をして結果的には、能力が高くなるという考え方です。
これは持って生まれた性格が大きい要因であるものの、家族構成であったり育った環境によっても大きく左右されます。ヴィゴツキーという有名な心理学者のZone of proximal development (発達の最近接領域)という説では、子供(学習者)は自分でできることの少し上のことを誰かの助けをかりることにより成功させることができて、その繰り返しで発達が促進されるということです。
人によっては「これは無理」と諦めが早い人と、どんなに困難に見えても「やり遂げたい」と強く思う人がいます。後者はZone of proximal development (発達の最近接領域)の幅が大きくても自ら人の力を借りて上へ上へと進んでいけるタイプです。ここでいう「人の力」は幼い頃は親、就学してからは先生、そしてクラスメイトや先生も「力」となります。
幼い子供が生きていくために十分な欲求が満たされ、自分の行動が他者(親など)を喜ばせることを知ると、他人に喜ばれる行動を取ることによってさらに自分の欲求を満たすことができると考えられています。いわゆる「親の期待に応える」というのは生まれたばかりの赤ちゃんにも備わっている自分の欲求を満たすための手段というわけです。
この成功体験を通して、人は「褒められることの喜び」「他者に認められたことによって自分の欲求が満たされること」を習得していきます。
前にも書きましたが、食欲や愛情の欲の強さにも個人差があり、この「人に認められる欲=承認欲」にも個人差があると思います。そして人によってはいくら賞賛を得られても満足しきれないこともあるでしょう。
これも一般論ではありますが、適度の「欲」は上昇志向につながり、人のやる気を促進するそうです。だから承認欲求が強いというのは決してネガティブなことではなく貪欲であればあるほど、がんばって何かを得ようという気持ちが強くなり、ポジティブに作用することもあるということです。
承認欲求が強いあまりに嘘をつく
最近「盛ってる」という言葉が使われるようになりました。以前は「ふいてる」(ホラ吹きの『吹く』が語源?)という言葉も使われていました。
まったくの嘘ではないけれど「話を盛っちゃう」とか「写真を盛っちゃう」人っていますよね。これは自分だけが見る日記とか写真では使わず、他人に見せる時に自分をよく見せたい時に使うものです。SNSの発達でこういう現象が日常化してきました。
以前にコロナワクチンがいつ打てるかということが話題になっていた頃、日本のネットニュースでは「ハリウッドセレブは大金を払ってワクチンを打っている」なんて噂も飛び交っていました。私は大学勤務だったので、早めに打てる方だったんですがもちろん先に打つのは医療関係者でした。メディカルスクールの教授のママ友がワクチンを打ったという写真をSNSに載せていたので「私たちもそろそろかな〜」と思っていた時に、リアルで知っている日本人の方が「ワクチン 打ったど〜」とSNSに載せていて私の勤務大学の写真を載せていました。その人は大学教員ではないし、教育関係者でも医療関係でもないので、どういう枠で打てたのだろうとメッセージで聞いてみたら返事はなく、その投稿自体をすぐ削除していました。
海外にいると様子がわからないから自分の生活のキラキラした部分だけを出すことも話を盛ることもしやすいとは思うのですが、それを見た人に「いいな〜」とか「すごいね〜」と言われてもそれが本当のことじゃなければ虚無感がつきまとうのではないかと心配になります。
そういう私も若い頃「話を盛る」ことが多かったような気がします。特に通訳の仕事をしていた時、自分を大きく見せないと「なめられる」気がしていました。これは承認欲求を満たすというよりフリーランスで仕事を取るための処世術だったのだと思いますが、今思うとよくなかったな〜と反省しています。