承認欲求という言葉の捉え方
前回、人間の欲求には低次から高次への段階があることを説明したマズローの欲求の段階の図を引用しました。
日本語ではこの「承認欲求」という言葉が日常的に使われていますが、これはSNSが盛んになってきたここ10年くらいの傾向ではないでしょうか。
英語で承認欲求は"need for recognition"と訳されることがありますが、日本語で一般的に使われている「承認欲求」とはニュアンスが違うことがあります。
ちなみに前回引用したマズローの欲求の段階は英語だと「承認欲求」というよりは「自己肯定感」の方がニュアンス的に合ってる感じがします。
この日本語と英語の「自分を認めてもらう」という概念が「自分で認めるのか」「他人に認めてもらいたいのか」という点が違う気がして、この言葉に興味を持つようになりました。
海外(アメリカなど)に在住日本人の承認欲求
私の周りにいる人ではなく、見ず知らずの人で海外在住の日本人の方でこの「承認欲求」が強いな〜と感じる人に会うことがあります。
前の記事にも少し書いたのですが、旅行者ではなく住んでいることで優越感を持ちたがる人とか日本から来たばかりの人を小馬鹿にする人とか、自分が住んでいるところをやたらと自慢したがる人がいて、そういう人たちは「すごいですね〜」とか「いいですね〜」と言われることを強く欲している感じがします。
前にも書いたように私はもう30年以上前にハワイに住んでいたのですが、その頃 私もただ住んでいるだけで「特権意識」のような変なふるまいをしていました。
そして日本に帰った後、海外に住んだこと、英語が話せることをひけらかしたい欲求が強かった時期もありました。
今の自分にそういう気持ちや欲求がないと言ったら嘘になるかもしれませんが、少なくとも私が若かった時のような「住んでいるだけで優越感を持つ」ことはないと思います。
以前に日本に一時帰国中に新幹線でとなりに座った変な人の話を記事にしましたが、そういう私も海外に住んでいるという印籠のようなものを使って非常識にふるまっている日本人だと反省しました。
ちょっと話が逸れましたが、日本を離れて30年余りが経ち、海外在住の日本人をひとくくりにする(とかされる)ことに抵抗を感じながらも海外在住の日本人には「承認欲求」が強い人が多いな〜と感じている今日この頃です。