自分の人生をふりかえると、私は学校にいる時間がとても長いです。

子供の頃は、他の友達と同じように小学校に通いました。本当に数回ですが、母が勤めている高校に行って職員室で母を待ったり、文化祭で他の先生や母の教え子さんに可愛がってもらいました。

大人になってからは、教育とは全然違う業種に勤めたのに、いつの間にか母と同じ「教師」という職業につきました。

 

「教育」を仕事=ビジネスと捉えるか、儲けを度外視して「聖職」とみなすか、それぞれの考えがあると思いますが私はやはりプロフェッショナルであり続けるためにはきちんと仕事として責任を持ち、時にはお金にならなくてもやるべきことはあると思っています。

 

両親が亡くなってなんとも言えない喪失感の中、アメリカの大学院に進みいろいろな教育者の方に会いました。「恩師」と呼べるすばらしい先生方にも会いました。

本当にたくさんの学生に会ってきました。その人たちの何人が私のことを覚えているかわかりませんが、できたら学生の「琴線にふれる授業」をしたいと思ってきました。

 

5年くらい前に知り合いを通じて東日本大震災後の福島の状況を描いたドキュメンタリーを知り、その映画を作ってアメリカ人に授業をしてきました。そのご縁で、宮城の気仙沼で消防活動に従事した消防士の方に出会いました。

その方が来月、ロサンゼルスで講演をすることになり、お手伝いをしています。

 

私はティーンエイジャーの子供を持つ母親として、この方が話していた「命の大切さ」「誰の命を守るか まずは自分の命を」という言葉を世界中の若者に聞いてほしいと思っています。