私は3歳から17歳までピアノを習っていて、一時期は音大を目指そうかと思ったこともあったのですが、とにかく音感がなくて、耳コピができる人がうらやましくて仕方がありません。
音楽でも言語でも、耳から入ってくるものをそのまま同じように再現することがとても苦手です。
ただこの音感のなさ、というか音声だけの情報を忠実に再現することが苦手なために、通訳が得意なんじゃないかと思ったことがあります。
私は同時通訳の訓練も受けたことがありますが「完生同通」(かんなまどうつう)と呼ばれる本当に聞いた瞬間に別の言語に訳していく通訳はあまりしたことはありません。「逐次通訳」と「同時通訳」の中間のように生中継の番組で英語で入ってくる情報を聞いて数分遅れで日本語に訳したことはあります。もう20年以上前のことで、今もこのようなことを放送現場で人が通訳しているかどうかはわかりません。おそらく今なら誰かが話していることを瞬時に文字化して機械翻訳されたものをアナウンサーが読めばいいので放送通訳者の仕事は少なくなっているんじゃないかと思います。
それはさておき、なぜ私が聞いたものを忠実に再現するのが苦手なことが通訳に役立つかというと、私は耳から入ってくる音声データを自分の脳内で再生するときに、意訳をするというか漠然と意味をとらえる癖がついているように思えるからです。通訳する時は、そこに別の言語というフィルターをかけて再生すればいいわけで、これは訓練によって上達したのか、もともとの素質であったのかはわかりません。
人間はあらゆるインプットを駆使して、他の動物より記憶力を高めていったわけですが、そのひとつが「文字」の発達でしょう。文字を介して記録ができることにより、人間は進化して他の動物よりずっと学習機能が高くなりました。
「身体が覚えている」という表現があるように、歩くとか自転車に乗るというような行為は一度習得すると方法を忘れないものです。人間が生きていく上で必要な行動のほとんどが、文字を解さずにも覚えていられるものですが、文字を習得しておくと視覚からの情報に頼って記憶を定着させていくようになります。
例えば子供の頃、よく歌った歌は歌詞を見なくても歌えますが、カラオケで歌うようになると歌詞を目で追わないと歌えなくなることってありませんか。
特に英語のように音声に依存する言語の習得では、早くから文字を教え、せっかく体感で習得した音のリズムを崩すことがないよう、十分長い文章(Complete sentence)で自分の意思を通じさせられるようになるまで、文字や単語レベルの英語を「教える」ことはしないようにした方がいいと思います。それが具体的に何歳からかというのは、お子さんそれぞれの成長速度によって違いますが第二言語や同時性バイリンガルの場合、文字を書かせることは8〜9歳くらいで十分だと思います。
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