アメリカではConvenient MinorityとかModel Minotiryという言葉があり、Minotiry (少数民族)とされるヨーロッパ系移民(白人)以外の人種が、少数民族であるが故に様々な恩恵を受け成功しているという場合に使われたりします。

 

例えばアメリカの学校で一定の人種の比率を保たなければいけないという制度がある場合、本来なら上から順番に優秀な人を合格させるべきなのに、白人は何%まで、マイノリティ(白人以外)は何%とすると、白人以外の合格者がほぼ全員アジア人種になってしまうこともあります。そしてその人たちは人種的には少数派でも、社会的経済的地位が高い家庭の子供だったりします。

 

全米の多くの大学や私立の小中高では、学校の価値を高めるため人種の比率を公平にしたり、貧しい人には授業料免除を与え、裕福な家庭からは多額の寄付金と高額の授業料を取っています。中には非常に裕福で優秀な学生がMinotiry (少数民族)だと「あなたの家族は十分な資金力があり、授業料を免除する必要はないのですが、うちの大学に来てくれたら、あなたと同じ人種(エスニックバックランド)の学生を〇〇人入れます」のようなパッケージを用意することもあるそうです。

 

これに対して裕福なマジョリティ(白人)の家庭の子供は不満をぶちまけます。同じ成績で同じ条件なら、裕福な白人の子供には学費免除もなく優先的な入学条件もなく、自分より成績が悪くてもマイノリティ人種は希望の大学から学費免除の奨学金を受けて合格通知をもらえたりするからです。とりわけアジア人は成績もよく、親が一生懸命働いていてもそれほど収入がないとほぼ確実に有名大学に合格できると言われています。

 

こういう事情からアジア人種をConvenient Minorityと表現するようになったわけですが、本当にアジア人種はその特権を利用しているのでしょうか。もともと理数系に強いアジア人種は今のアメリカの教育制度では非常に有利です。またアジア人種は一般的に勤勉だし、親は教育熱心です。他の人種に比べ 学習時間が長い子供も多いことが統計的に証明されています。

 

私はアメリカのトップ10に入る大学に勤務してきて、人種による恩恵というか優遇制度を最大限に利用しているのはアジア人種ではないと思います。何十年もかけて、ある人種の行動を指摘できないような社会の風潮を作った人たちが、迫害を受けながらも自分たちの地位を確立してきたマイノリティを「Convenient Minority 」と称して非難するのは絶対に間違っていると思います。