先ほど、娘が日本語補習校でお世話になった先生が2年前に亡くなった時の話を書きました。

 

おそらく日本とかアメリカとか関係なくどこでも保育園とか幼稚園では子供だけでなく保護者との関係も先生の仕事の重要部分を占めると思います。

 

「もしこの学校(日本語補習校)でこれからも働いていこうと思っているなら、(ロサンゼルスの)日本人社会からなるべく離れて、人の噂話には絶対参加しないようにしたほうがいいですよ。」と最初の保護者面談で、この先生が私に言ってくれました。

 

この先生は、20年もその学校に勤めていて、ほとんどは幼稚部の担任をしていらっしゃいました。本当に子供のことをよく考えてくれるいい先生でした。

 

先生が亡くなった時、ずっと親しくしていた別の先生と連絡を取り、残されたお子さんのために寄付を募り、何かできることはないか相談しました。

 

アメリカ生まれ育ちのお子さんはお母さんが日本人だけれど、もうほとんど日本語は読めないし話さないと聞きました。日本にいるお姉さまは英語が全然わからないそうです。それで写真集が一番喜ばれるのではないかという話になり、写真に短いメッセージを英語でも日本語でもいいので添えてください、というメールをその先生の教え子さんの保護者に送りました。

 

その時、我が家は娘の日本語補習校での写真があまりないことに気づいたと、前の記事で書きましたが、その学校はアルバム係以外は校内撮影禁止だからです。先生は記録用に授業の写真を撮っていることがよくありました。このことについてはまた書きますが、そういう「記録用」の写真をご遺族に送ることはできませんでした。

 

前にも少し書いた娘の学年の1年上の学年は人数も多く本当にたいへんだったようです。亡くなった先生はその学年を計3年も教えさせられていました。またその学校に娘がもどるので、私も教員としてもどるという話をした時に「絶対にあの学年の担任を頼まれたら断った方がいい」とアドバイスしてくださいました。娘が幼稚園だった時は中高生を教えたので、私がもどったらまた中学生を教える可能性があることを心配してくれたのだと思います。その学年の保護者は結束も固く、亡くなった先生のご遺族にも自分たちだけでメッセージ集を送ると決めたと言っていたので、私は関わることなく別の先生が仲介役になってくれました。娘が中学に入った年にその亡くなった先生は20年以上も勤めていた補習校を辞められたので、私は「もし またあの学年を教えろと言われたら絶対やめる」と言っていたのを思い出し、内示が出てその学年になったのでやめたのだと思っていました。 その1年数ヶ月後に亡くなったというお知らせを聞いて、闘病のためおやめになったのだと知り、最後の数年、一番得意だった幼稚部の担任ができたらよかったのにと残念に思いました。

 

この学校は 保護者のお手伝いが義務付けられていましたが教員だった私は免除されていました。幼稚部の時の「ヘルパーさん」だけは子供が喜ぶからと 七夕の日の午後に夫が参加しました。娘は七夕のたんざくに「ぱぱはへるぱーさん」と書くほど心待ちにしていたようです。その時、この亡くなった先生が「今日の〜ちゃん(我が子) とってもうれしそうでいい子でしたよ。周りのお友達が『〜ちゃんのパパ カッコいい〜』って言ってたからうれしかったんでしょうね。」と言いました。うちの夫がカッコいいと言われたのは大学で美術専攻だったのでこういう工作が得意だからです。もっと夫婦で、お手伝いに行ってあげればよかったと今になって思います。

 

この先生が最初に言ってくださった「人の噂話には絶対参加しないようにしたほうがいいですよ。」というアドバイスですが、本当に最近 身に染みてわかります。

世の中には人の名を使って自分の言いたいこと、やりたいことを推し進める人がいます。本当は自分が誰かを嫌いだったり、何かに不満があるのに「〇〇さんが▲▲さんを嫌っていてこう言っていた」と他の人に言ったり「○○さんに聞いたんだけど▲▲先生ってこういう人らしいよ」という類です。この先生はこういう問題に苦しめられストレスも多かったんじゃないかと思います。

 

本当に心から 安らかに眠り 天国で楽しく子供達を見守ってくださっていることをお祈りしています。

 

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