私がされてきた子育て〜つまり私の両親の私の育て方を振り返りながら、教育心理学の手法を使ってケーススタディとして自己分析をしています。

 

 

料理好きの父の本気
 

先日、私の母がお弁当を作れなかったと書きましたが、そのおかげで私は早い頃から自分で自分のお弁当を用意するようになりました。

 

一度、小学校5・6年の時の担任の先生が、私がパン屋さんで買ってきたサンドイッチを見て「へえ〜、お母さんが働いている子はこんなの持ってくるんだ」と言ったことがありました。その先生は女性で、私たちと同じ年の子供がいました。(おそらく学校側の決まりで)同じ年の子供がいると同じ学校では教えられず、その先生の子供はとなりの小学校に通っていたようです。

 

その先生は私たち親子があまり好きではなかったようです。私が中学受験をすることにした時も嫌味を言われたし、保護者懇談会では私の学校での態度がよくないと言われたりしました。

 

パン屋さんのサンドイッチをお弁当に持っていったあと、学校にお弁当を持っていかなくてはいけなくなった時、父がお弁当を作ってくれたことがありました。それが多分、父が私に作ってくれた小学校で最後のお弁当でした。父は料理が得意で、さらに盛りつけがとても上手でした。赤かぶの飾り切りやうずらの卵のベーコン巻きなどを入れて びっくりするくらいきれいにお弁当を作ってくれました。よく覚えていないのですが、私が先生に言われたことを両親に伝え、父が本気を出したんだと思います。

 

自己分析

 

*昭和の時代に女性のフルタイムの職業は限られていて、教師はその中では社会的地位が高いほうだった。昔も今も学校の教員は勤務時間が長く 責任感が強ければ強いほど家庭との両立は難しかったと思う。

 

私がこの小学校高学年の時の担任の先生に嫌われていたのは、私が生意気な性格だったということもありますが、この先生は自分も子育てをしながら教員を続けていて、自分の子育てと私の母の子育てを比べ、自分の方が正しいんだと言いたいかのようでした。その先生は子供が病気になるとよく学校(自分の仕事)を休んでいました。私の母は祖母が同居をしていたこともあり、私のために仕事を休んでくれたのは小学校の謝恩会と卒業式ぐらいでした。謝恩会と卒業式に来てくれたのもこの担任との間に何か話があったのかもしれません。この担任の私への態度を経験して 私は絶対教師にだけはなるのをやめようと長い間、思っていました。

 

 

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