私がボストンで大学院生だった時、2ちゃんねるができ話題になりました。
人は名前を出さないだけでここまで辛辣なこと言ったり、他人を誹謗することができるのかと驚いた覚えがあります。
その直後、ボストンに住んでいる日本人がインターネットコミュニティを作りました。私も参加したのですが当時使っていた大学院のメールアドレスではなくhotmailのアカウントを使いました。理由はちょうどその年から日本語対応になったからです。それでも初期のhotmailやyahoo mailはよく文字化けをして日本語でのメールのやりとりは海外ではとても不便でした。こういうフリーのメールアカウントはひとりでいくつもアカウントを作れるので警戒されたりしたのですが、それでも大学からもらっていたアカウントよりは使い勝手がよかったのを覚えています。
その日本人が日本語で情報交換できるインターネットコミュニティは評判がよく実名で登録しなければいけなかったので、ガレージセールや学校の教科書の転売なども安心してできました。
2001年にボストンからロサンゼルスに引っ越し、同じようなインターネットコミュニティを探しました。そこで見つけたのが「びびなび」というサイトでした。そのサイトは今は管理がきちんとしているのですが、当時はけっこう荒れていた印象でした。
日本人同士が日本語で中傷し合っていたりして、せっかく海外にいる数少ない日本人同士仲良く助け合えばいいのに、と思っていました。
その後、本名は使わずHN(ハンドルネーム)を使う日本人会に参加しました。私は本名(名前)をHNにしていたのですが、中には変わったHNを使っていて今だにその人の本名を知らない人もいます。オフ会もあったのですが、そこでも本名を名のることはありませんでした。今、考えても不思議な集まりだったと思います。
その後、いろいろな経緯でブログを始めることにして3年余りが経ちました。ブログを匿名にして顔を出していない理由は 子供の成長の記録と自分の日々の記録を発信するのには仕事柄、本名を出さない方がいいと思ったからです。誰でもが読めるサイトで名前や住所や職場が特定できそうな情報は出したくないと思ってきました。
私がここで、匿名という立場で 誰かを批判したり、否定的な記事を書くのは 匿名性を利用してインターネット掲示板や他の方のブログのコメントに誹謗中傷を書く人と変わらないので、極力、批判的なことは書かないようにしようとしてきました。
けれど時と場合によっては、社会一般の事件に憤ったり、自分や家族にふりかかった災難に対して怒りを表す記事を書いたりもしています。
先日、本当に心ない中傷を匿名で書いてきた同業者がいました。私は実名でやんわりと抗議をしたのですが、相手の方は「自分は匿名で書いたので誰だかわからないはず」と思っているかもしれません。私はそれが誰だかわかっているので、その人に直接メールで反論することもできるのですが、こういう公共の場を使って抗議をするという方法もあると気づきました。その人が私のブログを読んでいるかどうかはわかりませんが、少なくとも私の記事を読んでくださっている方が、どうしてそのような卑劣なことをしてはいけないかがわかってくれたらいいな、と思っています。
この未曾有のコロナ禍で、人々の心はささくれているのかもしれませんが、だからと言って匿名という武器で武装して、他の人を傷つけるのはよくないと思いませんか。