私はいつの間にか「先生」と呼ばれる職業に就いていたのですが、子供の頃から「先生」である母を見て「大きくなったら絶対 先生にはなりたくない」と思っていました。
それを母に言ってしまったこともありました。今、思えばひどい子供だったなと思います。今、娘に同じことを言われたら 私はかなり傷つくでしょう。
私が「先生になりたくなかった」理由は、母がいつも忙しそうだったからです。もっと自分と一緒にいてほしかった、自分の面倒を見て欲しかったと思っていた私は「子供ができたら同じような気持ちにさせたくない」と思っていました。
実際に私は自分がどんなに忙しくても子供のための時間は作ろうとがんばってきたのですが、忙しいとイライラするし、子供にキツくあたってしまうこともあり、子供にしてみたら「そこまでして、私のために時間を作ってくれなくてもいい」と思っていたかもしれません。
今になって思うと、母はとてもいい「先生」だったと思います。自分や家族の時間を犠牲にしてでも、教え子さんのために必死にがんばっていました。私はアメリカの大学で教えているということもあり、そんな情熱がありません。割とクールに仕事と割り切って学生さんに接しています。
前にも書いていますが、私は娘が週末の補習校に通い始めた時、自分もその学校の教員になりました。大学で教えている時とはまったく違う環境で、とにかく雑務に時間を取られました。母はずっとこういう仕事をしながら、子育てをしていたのかと思うと本当に頭が下がる思いでした。なぜ日本式の学校の先生の雑務が多いかというと、やはりインフラが充実していないこと、非効率的な仕事が多いことではないかと思いました。インフラの不整備や非効率な仕事はこのコロナ禍でリモート授業を余儀なくされ、改善された部分も多いとは思うのですが、それでも「働き辛さ」はさほど変わっていないような気がします。
時間と心に余裕がないと、人は相手の気持ちに寄り添ったり、自分の気持ちをコントロールしづらくなります。週末の補習校は先生の休み時間がほとんどありません。これは日本だけでなく他の国でも、小中高の先生はほとんど同じだと思います。一日中教え、十分な準備や振り返りがないまま日々が過ぎていくと、自分の教え方にも自信が持てず、他の先生の教え方を見て参考にすることもできず、成長していくことが困難になります。
アメリカでも日本でも「プロフェッショナルデベロップメント(PD)」を強化して、先生に学びの場を提供して、時間に余裕を持たせることを重視している教育機関は先生の質が高く、生徒のことをよく考えてくれると言われています。
私はふだん、100人近くの学生を1クラスで教える講義式の授業を大学でおこなっているので、20名程度の小中高の生徒を教えるのはずっと楽だと思っていたのですが、補習校での教員の経験から、まったくその考えは間違っていたことがわかりました。
今日、最近 日本で注目を浴びている教育機関の先生の講演を聞いて、自分がなぜ補習校で「いい先生」になれなかったのかがよくわかりました。
時間と心に余裕がない状態で子供に接してはいけない
でもそういう状況でしか接することができない場合は...
やらない
これをしっかり再認識した春休み最後の週末でした。
ちなみにこれは娘が書いた「いい先生」のイラストです。
生徒が笑ってしゃべっていたら、一緒に笑ってくれる
黒板を使わない(=自分たちのほうを見てくれている)
これが娘が持つ「いい先生」のイメージです。
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