この記事は過去に起きた事件をプライバシーの保護もあり、あまりリアルに書くこともできないので、ドラマ仕立てに脚色を加えて書いています。
 
私が義母に最期に会ったのは、義母が亡くなる半年くらい前でした。その年はロサンゼルスからハワイにストップオーバーするデルタ航空の便が格安で、ロサンゼルス在住の友人はけっこうその便を利用して里帰りをしていました。
 
私はちょうど8月にハワイで学会があったため、その前から親娘でハワイに行く予定にしてその前(6−7月)に日本で娘が学校に通えればいいと思っていました。
 
この時は夫が先に日本に帰り、私と入れ違いでアメリカに戻りました。私と娘は義両親の家ではなく、ふだんは使っていない元別荘だった家を使わせてもらっていました。義母はあまり体調が良くなくて孫の世話はできないし、病院に行くことも多いので同居は無理と言ったからです。何年か前に心配したようにやはり娘は体調を崩してしまって、生まれて初めて日本でお医者さんにかかりました。でも今、考えればそれは普段、人が住んでいない家に滞在したからではなく、かなりハードにいろいろ出歩いたので疲れてしまったからかもしれません。その後、日本に一時帰国中、2回ほど熱を出して病院に行きましたが、慣れない環境で気候も変わると体調を崩しやすいようです。
 
お風呂を借りに毎日、義実家の方に行っていたのですが食事は別々だったし、洗濯も好きな時にできて気楽でした。ただ娘が学校に通うという理由がなければ、そこにいたいと思う環境ではありませんでした。娘は今も「あの家、こわかったね。ママと抱き合って寝たよね〜。」と言います。古い家ってどうしてもコワイですよね。
 
私はこの時、日本の大学で講演を依頼されていてその準備や、学会の準備もあったので、時々Wifiを使いに義実家に行かせてもらったりしました。数回は義母と一緒に買い物に行ったり、お茶を飲みに出かけました。義母は、いろいろなことを話してくれるようになりました。たいていは自分の老後のことでしたが、一度だけ自分の子供の時の話をしてくれました。「私とあなたは育った環境が似ているわね。」と義母に言われ、そうかな〜と思ったのですが黙って聞いていました。
 
その後、体調を崩し病院通いも義父についてきてもらわないと行けなくなってしまってから、しきりに私たちの娘が自分の生きがいだと言うようになりました。娘に何度も電話で「夏に来てくれてありがとう。また来年も来てね。」と言っていたので、この夏、ちょっと無理して娘を連れて行き、体験入学をさせてよかったと思っています。
 
そして義母は亡くなる1ヶ月半くらい前に「どうしても話したいことがある」と言って娘が寝たら電話をかけてきてほしいと言ってきました。学期末で疲れていた私は寝落ちしてしまったので、話を聞いたのは夫だけでした。この時、義母が義兄嫁との金銭トラブルの話をしてくれたおかげで、私は心して義兄家族と接しようと思うことができました。
 
 
 

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