我が子はあと2ヶ月で12歳になります。あっという間の12年で、初めて(かつ最後)の子育てで、試行錯誤しながらもなんとかやってきました。
この12年間の「バイリンガル育児」で「してよかったこと」「しなければよかったこと」を数回に分けて書いていこうと思います。
私個人の私見ですが、何らかのお役に立てれば幸いです。
私はアメリカに住んで10年目に結婚し、結婚して3年後に出産をしました。「超」がつく高齢出産だったので、出産に関しては、いつか機会があれば書こうと思いますが、今回は、娘が生まれる前の「小児科医」選びから始めます。
アメリカで子育てを始める日本人夫婦は、自分が育った環境とまったく異なる環境での子育てに加え、近くに親戚や家族がいないので、かなり不安があると思います。私たち夫婦もそうでした。しかも日本にいる私の友人は、もう子育てを終え、中には孫がいる人さえいたので、子育てに関する質問をしてもあまり気の利いた返事が返って来ませんでした。
子供が産まれる前から、しばらくは育児書を読んだりインターネットの情報に頼ったのですが、我が子の最初の小児科医の先生には、あらゆる意味で、たいへんお世話になりました。彼女こそが、バイリンガル育児を支えてくれた最初の人だったと思います。
アメリカの医療制度は複雑で、医療保険の種類も様々なタイプがあります。私たち家族は私の勤務大学の付属病院か系列病院から主治医を選べるタイプの医療保険に入っていました。産科医は、友人の紹介でアメリカ人の女医さんを選びましたが、小児科医は日本人(というかアメリカ育ちの日本語がわかる)女医さんを選びました。娘が6歳になるまで、この先生にお世話になったのですが、ご本人もアメリカで育ち、子育てもしていたので、私たち日本人夫婦の心配事(蒙古斑のことやアトピーの可能性)などもよく理解してくれて、適切なアドバイスをくださいました。日本語でいろいろ質問できたのも心理的にとても楽でした。
私の子育ての最初の挫折は「母乳育児」でした。私の固定観念で「子供はなるべく母乳で育てるべき」というのがあったし、アメリカ人の母乳指導員も「最初から混合にすると、子供は母乳を飲まなくなるからまずは母乳一本で。」と言っていました。この日本人の小児科医の先生は初診で「産後、すぐに職場復帰するなら、最初から混合の方がいいです。フォーミュラ(ミルク)を飲まなくなることはあっても、母乳を飲まなくなることはないから、できれば母乳も搾乳して飲ませ始めてください。」と言って生後5日目の娘にグビグビとミルクを飲ませました。そしてあれよ、あれよという間に高価な搾乳器を保険でカバーできる手続きを取ってくれました。私と夫は目が点になって「なんか育児書やネットの情報と違うね。」と言いながら、病院の近くのドラッグストアで、ミルクを買って帰りました。
もし、これがアメリカ人医師だったら「やっぱり、アメリカ人は感覚が違うよね〜。」と勝手にアメリカのせいにして、私は日本のネット情報に頼り、頑なに母乳育児に固執していたかもしれません。
なぜ、この母乳からの解放が、のちのバイリンガル育児に役にたったかと言うと、この先生の指導のおかげで、私は産後6週間で職場復帰できたからです。その後、夫が8週間の育児休暇を取り、家で娘の世話をしました。こうして私たち夫婦だけで産後の100日を日本語で育児したことが、娘にとって「自分の生活言語」としての日本語を内在化できた要因だと考えるからです。
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