先日、海外に住む小・中学生の日本の学校での短期体験入学は、地方自治体や学校、担任の先生などによってまったく異なる経験になると書きました。(その記事はこちら)
このことはウィキペディアの「体験入学」にも書かれていて、私の周りの日本人の方々を話しても本当に違いがよくわかります。
そして、昨日、我が子は2年生の時、初めて体験入学をして素晴らしい経験をしたと書きました。(その記事はこちら)
2年生の体験入学を終えた時、子供達1人1人がメッセージを書いてくれ、それぞれの写真つきで冊子にしてくれたものをプレゼントされました。
このおかげで、クラスメイトの名前を覚えておくことができ、写真を通して、どんな学校活動をしたのかもよくわかりました。
こんな経験をアメリカに帰って、現地校や日本語補習校で話すと、みんなにとてもうらやましがられました。
そのため、翌年度の3年生の時には、早め(3月下旬)に日本行きの航空券も取り、ゴールデンウィーク明けに前年にお世話になった小学校に電話して、体験入学を申し込みました。
まず最初の難関が、義両親。義理の母は体調が悪く、1ヶ月以上も孫の面倒が見れないと言われました。
前の年は、夫が3週間の休みを取って実家に戻り、娘と一緒に過ごしたのですが、義母にとっては息子と孫の食事や生活の世話をしたのが、けっこう負担だったようでした。そこで急遽、この年は私が娘と2人で、義両親の隣の家(夫の叔母の家)を借りて、そこに住んで娘を学校に通わせることにしました。
バイリンガル発達の理論でいうと、8−9歳は、両言語の発達、保持が一番難しい時期で、それまでは楽しい遊び感覚で習えた言語が抽象概念が入ることにより、急に難しくなります。そのため、この時期に補習校を辞めてしまう子供、バイリンガルとして両言語を学んでいくことをやめてしまう、または諦めてしまう子供がとても多いです。
もし3年生の時点で楽しみにしていた日本の学校行きを断念してしまったら、我が子も、もう日本語で勉強することをやめてしまうかもしれないから、どうしても学校に行かせたいと思いました。義理の母は、かわいい孫が学校に通う姿を毎日、見送り、最後の日には「私にお迎えさせて。」と言って学校の途中で待っていてくれて、手をつないで帰ってきました。翌年の冬に他界する直前も「XX(私の娘)は、私の生きがいなの。今年も小学校に来てね。」と言っていたので、半ば強引な私の決断は 結果的には良かったと信じています。
次の難関が、受け入れ校でした。まず担当していた教頭先生が転勤してしまい、校長先生は、同じ地域の他の小学校との申し合わせで、海外からの体験入学者の受け入れにとても消極的でした。教育委員会に電話しても「各学校に任せてある」と言われ、学校に電話すると「他校との申し合わせで、自分たちの学校だけでは決められない。」という返事でした。
結局は、3年生の時も7月からの3週間は受け入れてくれる、と言うことになったのですが、6月中旬からの日本行きの飛行機を予約していた私は「学校に行くまでの2週間、娘と どこで何をしようか。」と悩みました。
まだ3年生の娘は、祖父母の家に着いたらすぐ小学校に行けるものだと思い込んでいて、友達が学校に行っているのに自分だけ家で遊んでいるというのは、理解できないと思いました。
そこで、最初に日本国内を旅行して、時差ボケが治った頃に祖父母の家に行き、そこから体験入学が始まるという流れにしました。
この計画は、まだ学校の夏休みが始まる前に旅行できるため、観光地が空いていていい、というメリットはあるのですが、どこに行っても「学校はどうしたの?」と聞かれ、さらに旅行の疲れで、体験入学後、病気になり休んでしまうという本末転倒な事態になってしまったため、やっぱりよくなかったと思いました。
この日本旅行期間中に、私の友人のお子さんが通う小学校に1日だけ、体験入学させてもらいました。この学校は、新幹線では隣の駅に当たる場所にあるため、日帰りで通うことも可能でした。たった1日ということもあり、まったくの「お客さん」でしたが、クラス中が大歓迎してくれて、まるで「スター気取り」になった娘は、前年1ヶ月半通った、お友達のいる小学校に戻った時、ショックを受けたようでした。
(続く)
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