数日前から、私がアメリカの大学院の教育学部で経験したことを書いています。ここに書いていることは、私個人の1990年代の記憶で、今はアメリカでも特殊教育の授業も変わってきているため、今では違った状況になっていることもたくさんあります。
事実、90年代当時、LD(学習障害)と見なされていた特徴は、現在、Autismやアスペルガー症候群として扱われていることもあります。
ジョージア州では、90年代にLD(学習障害)とBD(行動障害)はどちらもグレーゾーンの生徒が多く、学校区によっては、両方のスペシャリストを雇えないと、子供の特質というよりは、スペシャリストがいるかどうかで、どちらかのカテゴリーに入れられてしまうこともありました。
私が初めて通った特殊教育のクラスに小学校3年生のアフリカ系の男の子がいました。その子は、LD(学習障害)と診断されたのですが、その理由は知能(IQ)が高く、集中力もあるのに、言葉で何かを説明することが非常に苦手で、本を読んで内容について質問されても、理解できているかどうかがまったくわからないという特質からです。
ちょうど、クリスマスの前あたりで、家族の絵を描きましょう、という授業で、その子は突然、お父さんの顔の色を青のクレヨンで塗り始めました。
先生は「まず絵の具を使いましょう。絵の具がかわいたら、その上からクレヨンを使って絵を描いてもいいです。先にクレヨンで塗って、絵の具を上から塗ると、にじんで色が変わってしまいます。」という説明をしていました。
私は「え〜、顔を青で塗るなんて...やっぱり この子は変なのかも。」と思ってしまいました。
その子が一通り 顔や腕の色を青で塗ると、次に水彩絵の具の茶色を上から塗っていきました。すると不思議なことに、少し青みがかかったこげ茶色は、彼の肌の色そっくりになりました。
その子は、その作業中、ひと言も話さず、ずっと画用紙と絵の具を見つめていました。
Creativeconnectionsforkidsのページから画像を引用しています。
そのクラスの先生に私が「すごいですね。最初はどうなるのかわからなくてビックリしたけど、ステキな絵になりましたね。」というと「そうよ。この子達は、みんなSpecialなの。だから私たちのプログラムはSpecial Educationっていうのよ。」と言いました。
このクラスには「まったく数の概念が理解できない子」や「文字がゆがんで見えてしまう子」など様々な特質を持った子がいましたが、先生たちはその子たちの「できないこと」ではなく「できること」を見つけて支援している姿が心に残っています。