こんにちは。
今日は父の日。
父がいなくなって初めての父の日。
もう2度と会えないという辛さだけが残っています。
ブログのおかげでここ数年、私が父に何をしてきたか
帰省していた日々など読み返すことで
当時の記憶が鮮明に甦っています。
色々とお取り寄せして
「届きましたー」と嬉しそうに届いた箱をFaceTimeで見せてくれたり
私があげた洋服を着てくれていたり
帰省したときは私の料理で毎晩乾杯したり。
父は晩年、私達に感謝ばかりしていました。
きっと旅立つ時もいい人生だったと思ったのではないかなと
最近やっと思えるようになりました。
実はこの間帰省したとき、ガランとした実家を見て
私がやってきたことは何だったのだろう
結局は何も残っていない
何も残されていない
何もしてもらっていないと思ってしまったのです。
その理由は最後に書きます。
使った時間、労力、お金、全てが何だったのだろうと。
「おまえは色々してくれたけど、お父さんはお前に何もしてあげれなかったな」と
ここ数年は繰り返し父に言われてました。
何もしてもらえなくていい。
見返りなどいらない。それを求めてしてきたわけではない。
自分がやりたかっただけだ。そう思っていた。
喜んでくれるだけでいい。
私は父のことを好きすぎて
それを父はわかってくれていたのだと思います。
会いたくても会えない。
最後に会ってからまだ4ヶ月しかたっていません。
最後に帰省していた2月
姉にカニを食べに連れていってもらったことはブログに書いています。
あの時私は家からタッパをたくさん持って行き
自分はそれほど食べずに父に持って帰ろうと
カニの身を取ってばかりいて、タッパがギュウギュウになるまで詰めて
「お父さんカニ持って帰ってきた」と
その日のディナーに出しました。
父はこんなに美味しいカニは何年ぶりかと
美味しい美味しいばかり言いながら食べてました。
本物は全然違うな、とれたてやから。
美味しいからと焼酎をおかわりして。
私はそういう事をさせてもらえました。
父にはもう会えないけれど
してあげれた思い出はたくさん残っています。
してあげれたという思い出をたくさん作ってこれたのは
心から良かったと思っています。
これも夫のおかげであり、近くに住んでくれていた姉のおかげです。
夫が今朝起きてすぐに「娘からhappy father's dayの連絡がきた」と言いました。
私の父はいなくなったけど
近くに「父」がいたなと思い私も「happy father's day」と言い夫にハグをしました。
・・・
私が何もしてもらえていないと思ったのは
きょうだい3人で遺産整理をしていた時に、
姉の長男と弟が受け取りになっている父の生命保険が出てきたからです。
これらは本来なら母が遺産整理をするべきものでしたが
母は入院したままで私達が探して出てきてそこで初めて知りました。
お金に関することは父は何も知らず
全て母がやっていたようでした。
病院で母に聞くと「お父さんは何も知らなかったよ」と話していました。
その時に初めて思ったのです。
私が今までしてきたことは何だったのだろうと。
でも、父から私にだけ残されていたものがありました。
父がいつも座っていた後ろに空き缶がありその中に入っていました。
父の会社の株でした。退職後に購入していたようでした。
封筒に手紙が「重要」と赤鉛筆で書いてあり、それは父の字で
「株の全ては香歩に託す」との内容で父の判子も押してありました。
それは生命保険に比べると金額は1/3ほどです。
私は号泣しました。
私にだけ父が残してくれていた。
書いてあったのは2019年でした。
今日は父の日。
お父さんありがとう。
お父さんに会いたいです。