アメリカをドライブ旅行しているとき

もしかして・・・と

 

近くにあるか調べてみる場所があります。

 

それは日系人収容所。

 

私も夫もアメリカに永住しており

日系一世になります。

 

私は市民権を取っていないので「日本人」ですが

アメリカで合法に認められた「永住権」を持ち30年ここで生活している。

 

戦争時代はそんな日系人

そこで生まれたアメリカ人である日系2世や3世。

娘は2世になりますが

 

多くの日系人は

第二次世界大戦のとき

強制収容所へ入れられました。

 

そのたくさんある収容所の一つ。

 

旅をするとき必ず調べ、近くを通ると

立ち寄って

この目でみたいと思う。

 

 

今回、ユタ州のトパーズ強制収容所へ

訪れました。

 

この場所を見つけたのは夫。

 

ネバダの後、実はシアトル方面かデンバー方面へ向かおうとしていました。

 

「トパーズが近くにあるよ。寄らない?」

 

看板があったので

場所はわかりやすかった。

 

Deltaという町のすぐ近くです。

 

そこは荒れ果てた土地だけが残っており

 

車のGPSではこんな地図が出てきます。

この線は全て収容所内のダート道。

この区間に分かれて建物が建っていたと思われます。

 

中は24時間誰でも入れて

このような看板のみ残されていました。

 

全て壊された後

場所だけ保護された感じ。

 

カリフォルニアのマンザナー強制収容所は

いかにお金をかけて建物を再現したり残されたりしているとわかる。

 

アメリカの旗が建っている場所へ向かいます。

 

すると

 

大きな虹が。

しかもダブルレインボー。

 

「よく来てくれたって歓迎されたみたいだね」と夫がボソリ。

 

激しい雨の後。

こんな空を

ここにいた人たちは見てきたんだな。

 

何も悪いことをしていないのに

日本人というだけで

家や財産もそのままに

ここへ強制的に入れられた日系人たち。

 

 

ここに少しだけ当時の様子が残されています。

写真だけ載せます。

 

 

 

ここはフレッドコレマツさんが収容されたところでもあります。

 

マンザナーの4倍の広さ。

収容された人数11212人。

自然死130人 銃殺1人

合衆国入隊者数451人

戦死者15人

 

建設年1942年。閉鎖1945年10月。

 

第二次世界大戦でアメリカ兵士として戦争に行った日系人の名前も。

 

そしてここに

胸がぐっとなる事が

石の文字で残されていました。

 

 

 

WE ARE SORRY

NEVER AGAIN

 

WE ARE SORRY

 

ネバーアゲイン

 

IN HONOR

 

敬意を表して。

 

 

綺麗な虹に呼ばれた。

 

 

 

私も同じ日本人であり日系人。

 

敬意を込めて。

 

 

ミュージアムもあります。

The Topaz Museum

55 West Main

Delta, Utah 84624

(日曜は休館。日曜だったので入れませんでした)

https://www.topazmuseum.org

 

過去記事

マンザナー強制収容所