マンザナー日系人強制収容所
(当時の言い方はマンザナール)
 Manzanar internment camp
訪問記です。
 
 
デスバレー旅行記を先月書きましたが、
デスバレー国立公園に行く前に、立ち寄った所があります。
 
大統領がかわり、再び第二次世界大戦時の日系アメリカ人が
クローズアップされました。
 
それらも含めてUPしたいと思います。
今回は物凄く長いです。
 
 
第二次世界大戦が始まった1942年。
アメリカ全土にいた日系人約11万人が
大統領令9066号(United States Executive Order 9066)
によって強制収容されました。
 
 
その多くは家も財産も殆ど失い
全米10箇所に出来た収容所へ送られます。
ロサンゼルスから車で約3時間〜。
シエラネバダ山脈の東側ふもとにあるこの場所は
夏は大変暑く冬は寒さが厳しい、広い広いへき地です。
 
マンザナール強制収容所。
合計11070名の日系人がここで過ごしました。
 
 
「マンザナー収容所跡」だったこの場所ですが、
2004年5月から、Manzanar National Historic Site
(マンザナー国定史跡)として
 
アメリカ国立公園局によって管理されています。
 
オバマ元大統領は2年前
日系人強制収容所の国立公園管轄に対し
補助金を出しています。
全米に強制収容所跡は11箇所ありますので
最後に全箇所紹介します。
 
 
この日はとても寒く風も冷たくて(2017年1月)
後ろにそびえ立つ美しい雪山が印象的でした。
 
 
この建物の中にビジターセンターがあり
そのまま奥がミュージアムになっています。
入場無料。
 
入ると、千羽鶴が迎えてくれます。
 
アメリカ国籍を持ち、何も罪を犯していないのに強制収容される。
誰もが持つ裁判する権利も奪われた。
それはきっと日系人だから。
 
同じ敵国だった、先祖がドイツ系イタリア系は全員強制収容されたのか。
(アメリカ白人の多くはドイツ系もしくは建国時ドイツからの移民)
 
ビジターセンターで簡単な説明を聞き、中に入りました。
 
沢山の展示物で埋め尽くされています。
見学者は私達を含め5組程。
とても静かで足跡が響く感じでした。
 
日本人、日系アメリカ人は不当な差別をされ続けた。
JAPSという差別用語が沢山写真におさめられています。
 
日本の楽器を見ると美しいなと思います。
日本文化は、ここでは迫害を受けず自由だったという事ですね。
 
これらを見ると
私はなんでこんな国に住んでんだろうなと思う。
 
ここに住めるのは、そんな人ばかりじゃないのを知っているから。
人種によって上下関係をつけるのは間違っていると堂々と言える国だから。
 
 
日本に住んでいた時は
こんな場所の事を知らなかったし
考えもしなかったな。
 
アメリカ来た頃はよく
年配の白人男性から「戦争時代」の話を聞かされました。
同じアパートの人とかスーパーのレジで隣になった人とかが
話しかけてくるんです。アーユージャパニーズ?
 
こういう事があったよとか
自分は日本に住んでたとか、
私の顔を見て懐かしそうに話してくる。
OOコという女性と付き合っててね。。とか
OOという女性と友達でね。。。とか。
 
まるで日本人を見ると戦争時代を思い出す・・という感じでした。
 
最近そういうのなくなりました。
第二次世界大戦を知っている人と出会うのがなくなってきた。
戦争が終わって70年がたつので
当時20だった人も90です。
 
 
日系人は登録され、それぞれに番号がつけられていました。
 
収容所は10箇所。
 
日系人同士の中でも天皇や日本についての意見が分かれ
その中で争いもあったとか。
 
 
 
 
いい写真です。
 
ここにいた人全員の名前が残されていました。
 
アメリカ兵として活躍した442部隊。
 
戦った場所と功績が記されています。
 
レーガン大統領時代この収容所は間違っていたと正式謝罪。
損害賠償1人2万ドルが支払われます。
 
レーガンはマーチンルーサーキングの祝日も作った大統領です。
トランプ支持者がトランプはレーガンの再来だと言っていますが
 
アホかといいたい。
 
 
 
 
小さいですが売店もあり、日本っぽい陶器や折り紙など売っていました。
 
外は自分の車で回るルートがあります。
 
野球やバスケットなどのスポーツが娯楽だったそう。
 
 
 
当時を再現したものです。
清潔そうなベッド。日本らしいものも置いてありました。
 
殺風景ですが清潔で綺麗です。
 
大きなストーブもありましたが
隙間風が入り冬は厳しい寒さだったそうです。
 
 
 
 
そして奥へ走らせると
お墓が。
 
まだ70年しかたっていない。
もう70年たつと思えばいいのか。
 
日本はアメリカの敵だった。
私の明治生まれである祖父も戦争へ行きました。
大陸へ渡った私の叔母は帰国時船が沈んで亡くなりました。19才だったそうです。
 
祖父の戦争体験は直接聞いていません。
日本人にとって戦争は暗い過去であまり話したがらない。
聞いてはいけないような雰囲気だった。
 
 
間違っていると声をあげる事が大切だと言ってきたのは
この時代を生きてきた日系人のフレッド・コレマツさん。
 
この間、Googleにそのコレマツさんが載っていましたね。
なんてタイムリーな事をGoogleはするんだろうと
感心しました。
 
出たのはコレマツ氏の誕生日である1月30日。
強制収容は間違っている事と、自分の無罪を訴え続けた人です。
 
この人はユタのトパーズ収容所に送られています。
 
 
ミシェルマルキンというアメリカ人批評家がいます。
FOXニュースのコメンテーターでもある彼女は
911テロの時、真珠湾攻撃に例え本を出しました。
ベストセラーにもなり大きな話題になりました。
内容は当時の日系人の中にスパイがいた。
強制収容は必要な事であった。
特定民族の個人が怪しければ、特定民族全体を拘束するのは(市民権剥奪も)問題ないという内容で、
当時再び日系人強制収容は正しかったのかどうかが話題になります。
911と真珠湾攻撃が同じかとかも議論されていました。
 
ちなみにミシェルマルキンはフィリピン系アメリカ人女性です。
 
今回新しい大統領が特定民族の入国を90日間据え置きにすると大統領令を出し
混乱しました。
トランプは「日系人強制収容の前例がある」と言った事で再び
収容所がクローズアップされています。
 
 
日系人のその後簡単に書きますと
1988年レーガン大統領が正式に謝罪。
それを継続させた形で次のブッシュ(父)大統領が
賠償金支払いと大統領署名付き書簡を渡します。
そして不当な有罪判決を受けていた
フレッドコレマツ氏、ゴードンヒラバヤシ氏、ミノルヤスイ氏の無罪獲得、
(無罪になるまで40年以上、犯罪者として生活や仕事に影響を受けた)
そしてこの3名は収容所の不当を訴え続けた活動家として、
米国で最高位の勲章
Presidential Medal of Freedomが与えられました。
 
 
 
アメリカにある日系強制収容所の場所を載せておきます。
 
◎ツールレイク/カリフォルニア *Tule Lake Unit of World War2 Valor in the Pacific National Monument
◎ポストン/アリゾナ ラパズ(インディアン保護区)
◎マンザナー/カリフォルニア *Manzanar National Historic Site
◎ヒラリバー/アリゾナ Gila River War Relocation Center(インディアン保護区)
◎ミニドカ/アイダホ *MInidoka National Historic Site
◎アマチ/コロラド *Granada Relocation Center Colorado
◎ジェローム/アーカンソー 

Jerome Relocation Center, Arkansas (日本語ウィキ)

◎クリスタルシティ/テキサス Crystal City Japanese Internment Camp

**National Park Service Site

◎ホノウリウリ勾留キャンプ/ハワイ *Honouliuli National Monument

(2015年2月、国立公園管理局保護下のナショナルモニュメントになりました)

 

他の場所も行ってみたいですね。。。
 
そして現在のアメリカ。
両親共に日本人という日系アメリカ人は約796700人。
片方だけという人は約352000人です。
(センサス2000年調査)
そして私も含め、アメリカに住む日本人は38万人以上なんだそうです。
(2010年の調査)
永住権を持つものは14万人なんだとか。
 
 
今回の記事はレポートのようになりましたが
知らなかった事がここでシェア出来たらと思い
消して書いて消して書いて、こんなに長くなってしまいました。
記事を分けようと思ったのですが一気に出します。
 
お付き合いありがとうございました。