身につく速さは、

 

その事に興味を持つかによっても変わってきます。

 

ただただ、言われた事をする

 

やらないと怒られるから渋々やる

 

では、なかなか身につかない事が多いです。

 

逆に言えば

 

自分が、その事に対して興味を持つ

 

と、身に付きやすいです。

 

覚えやすいです。

 

覚える

 

わかる

 

と楽しくなる事が多いです。

 

「楽しくなる」

 

という事が、大切な事だと思っています。

 

どうせやるなら、楽しんだ方がいいですものね♪

安心感がある

 

といえば…。

 

地元愛知に戻った時、地元の言葉を聞くと安心感があります。

 

京都と愛知では、そもそもイントネーションが違いますからね。

 

関西系のイントネーションをわかっていても、聞き続けていると違和感を感じるのです。

 

皆が皆、私とは違うイントネーションで話す

 

というのは、だんだん苦痛になってくるのです。


 

ただ、私にしては珍しく、この場合は

 

私は普通じゃない

 

と思う事がなかったりします。

 

仲間外れ感はないのですよね。

 

むしろ、京都にいるくせに、京都弁に対して

 

それはおかしいだろう?

 

と否定するところがあったりします。


 

おかしい!

 

と思うからこそ、地元の言葉を聞くと、

 

やっぱり、これだよね?!

 

と安心すると言いますか、ほっとするというか…。

 

そう考えると、やはり

 

私だけじゃない!

 

と思える事が安心感につながっているのでしょうね。

否定される経験を多くしてきた人にとって

 

「私だけじゃない」

 

と思える事って大事だったりします。


 

数人に否定されたり、わかってもらえなかったりすると

 

「自分って、そんなにおかしいのだろうか?」

 

と思ってしまいます。

 

一度そう思ってしまうと、だんだん、その事について他の人にも話せなくなっていきます。

 

なぜなら、

 

これ以上傷つくのは嫌だから。

 

否定されるかどうかはわからなくても、否定されるかも?という恐れから、話せなくなるのです。

 

 

ですから、逆に

 

「私だけじゃない!」

 

という事があると、安心感を得る事ができます。

 

傷が深ければ深いほど、安心感も大きくなります。

 

同じような意見に辿り着くまでに時間がかかったのであれば、安心感も比例するかと思います。


 

最短距離で辿り着ければいいのですが、なかなかそういうわけにはいきません。

 

しかし、今は、SNSという非常に便利なものがありますから、普及していなかった時代に比べて、はるかに早く辿り着けるはずです。

 

まずは、共通の悩みを持っている人に出会う事。

 

それだけでも、変わってきます。

けなされたり、文句を言われたりして

 

「なにくそ~~~」

 

と思う事はあるかと思います。


 

例えば、親の言う事に腹が立って

 

「なにくそ~~」

 

と思って、勉強して良い点を取ったとします。

 

しかし、

 

テストが終わってから、勉強の内容をどれだけ覚えているか?

 

といえば、

 

あまり、覚えていない

 

のではないかと思います。

 

 

なぜ、そのように思うかと言いますと

 

「怒りの感情がメインだから」

 

です。

 

学校のテストの場合ですと、好き嫌いは言ってられないのですが、やはり

 

「興味を持って勉強する」

 

方が、

 

「長く記憶に残る」

 

傾向が強いと思うのです。

 

「得意教科は、覚えるのも早い事が多い」

 

という経験は、みなさん、されているかと思いますので、理解しやすいかと思います。

私は、自分も他人を褒める事が苦手でした。

 

今は、だいぶ褒められるようになりましたが、最初のうちは

 

「自分が褒められたいから人を褒める」

 

という意味合いが強かったです。

 

自分から褒めれば、相手からも褒められるようになるのではないか?

 

と思ったのです。


 

といっても、人それぞれですからね。

 

こちらから何も言わなくても褒めて下さる方は褒めて下さいますし。

 

どれだけ褒めても、一切褒めてくれない方もみえますし。

 

いつも褒めない方が褒めて下さると

 

「あ~、そんな風に思って下さっていたんだ」

 

と嬉しくなりますね。


 

どちらかといえば、親のように

 

褒めてほしい人ほど褒めてくれない

 

傾向が強かったですけどね。