ご無沙汰しています。

なかなか家を出られず、写真も撮りに行けない日々が続いています。

 

娘が退院してからのその後をなるべく簡潔に書きたいと思います。

 

娘の術後できた気胸は少しずつ穴が小さくなっているようで、

体力の回復もボチボチだと、言っていました。

でも車の運転はまだ無理なようで、幼稚園の送り迎えが出来ないため、

孫はバス通園に切り替えてもらったとの事でした。

 

バス通園の初日は泣きながらバスに乗っていったそうですが、

ちょうどその日が祖父母参観の日で、教室に行ってみると、

とっても元気な○○ちゃんがいて、登園してしまえば大丈夫なんだと

安心しました。

冬休み中いっぱい一緒に遊んだので、幼稚園でも「ばぁば、ばぁば」と

何回も呼んでくれて、楽しい祖父母会への参加になりました。

 

 

その後義母が体調を崩し、熱も出てきて息が苦しそうなのを見て

すぐ訪問診療のクリニックに電話をかけ、看護師に来てもらいました。

熱、血圧を測り、酸素飽和度を計測すると88しかなく、

病院に来てくださいと言われ、義母をクリニックに連れて行きました。

ほとんど歩けないので主人と二人で抱えるように車に乗せるだけで一苦労!

 

指示で発熱外来の方の駐車場に行き、車の中でコロナとインフルエンザの

検査のため鼻の奥に綿棒のような長い物を入れて検体を採取!

 

少しして、看護師が走ってきて「インフルエンザA型の結果が出ましたので

お二人とも車から降りていた方がいいかも知れません。」と・・・

今はマスクをしているけれど、家ではマスクなしでずっと義母の傍にいた!

と不安になりつつも、レントゲンなど他の検査もしてもらい、

「家で酸素供給装置を鼻につけながら過ごせるようすぐに手配します。」

と医師に言われ薬を処方してもらって帰ってきました。

インフルエンザの特効薬という鼻から吸引する薬の処置もしてもらいました。

 

その後、高熱も出ることなく翌日には食欲も回復し

元気にはなっているのですが、

2リットルだった酸素を1.5リットルにするとしばらくたってから

酸素飽和度が下がってしまうのです。

また2リットルに戻したり1.5リットルにしたりを繰り返しながら、

ようやく1リットルで大丈夫になり今0.5リットルに挑戦中です。

医師は身体に二酸化炭素が溜まってしまうので早く装置を外したいらしい

のですが、酸素飽和度が最低でも95リットルに、となると

まだまだ装置を外せません。

 

 

私たちは無事インフルエンザに感染せずに済んでいます。

そんなことがあり、家を空けることが出来るのは、最低限の買い出しと

病院に行く時ぐらいです。

写散歩なんていつになったら出来るやらですあせる

 

 

月が変わった昨日2月1日は主人のがんセンター診療でした。

血液検査、内視鏡検査、ともに異常はなくもうすぐ術後4年になります。

医師から「あと一年とちょっと何もなければ完治、病院も終わりになるね。」

と、言ってもらえて嬉しかったです。

 

 

写真がないのもつまらないので2013年に載せた写真の再掲載です。

 

山部赤人の句碑と富士山

 

 

元日の富士

 

元日の富士

 

 

山部赤人の「富士の山を望る歌」

 

長歌

 

天地(あめつち)の別れし時ゆ神(かむ)さびて高く貴(たふと)き

駿河なる富士の高嶺を

天の原振り放(さ)け見れば 渡る日の影も隠らひ

照る月の光も見えず 白雲もい去(ゆ)きはばかり

時じくぞ雪は降りける

語りつぎ言ひ継ぎ往(ゆ)かむ富士の高嶺は

 

 

反歌

 

田子の浦ゆうち出でて見ればま白にぞ

富士の高嶺に雪は降りける

 

<都留文科大学研究紀要、90集より>

 

 

 

 

ご訪問くださり、ありがとうございました。