小牟田 哲彦著『旅行ガイドブックから読み解く 明治・大正・昭和 日本人のアジア観光』読みました。
めちゃ無茶面白かった~
内容紹介
昔はアジア旅行も大らかだった。日露戦争後、明治末からとたんに東アジアへ旅行に行く人が増えて、各種旅行ガイドブックが刊行されてきた。読み捨てられたそれらのガイドブックを古本で集め、丹念に読み解く作業を続けると、歴史のリアルな実相が見えてくる。
船や鉄道の乗り継ぎ、観光地、旅館、ナイトライフ、通貨、パスポートなど、現代の旅行客と同じ問題を当時はどうやって解決していたか。
鉄道や旅行の歴史に詳しい著者が、時刻表や路線図などを駆使して、昔のアジア旅行の実態を検証。
楽しい観光旅行を追体験したり、戦後の団体旅行ブームや、閉鎖的な社会主義国への旅行など、朝鮮・満州・中国・台湾の激変する歴史を旅行という観点から見直した稀有な論考。写真、図版多数挿入。
内容
鉄道の時刻表、観光地、通貨、言語、パスポートなど。古いガイドブックから見えてくる意外な歴史の実相。
上記は「BOOK」データベースより
感想
マジで面白かった~。「観光」「旅行」というキーワードを通して、近代日本史、アジア史を見直すことが出来ました。本を通して知識が増えることの喜びを感じつつ、タイムスリップして、明治・大正・昭和、そして平成の紙上旅行をしている錯覚すら感じました。これぞまさに読書の醍醐味
。とっても楽しく読めました。
旅行ガイドブックや観光雑誌、パンフレット、時刻表には、日本や日本を取り巻く国々、そして世界の社会情勢、経済事情、国交事情、そして当時のオトナの事情を読み解くことが出来ます。本当に面白い。そして、今日のように自由に旅行できる時代に生まれたことを幸せに思いました。
![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
・駅弁(冷えた弁当)は大陸では定着しない
・遊郭はナイトクラブ
・敗戦後、サンフランシスコ平和条約が結ばれるまで、日本政府は独立国と認められていなかったので、自国民にパスポートを発行することが出来なかった
・戦後の海外渡航制限
・残存していた旅行の大義名分
「旅行には大義名分が必要」「遊びの旅行はおおっぴらにするものでない」「観光旅行は一人あたり年1回」、余計なお世話と思われる旅行に対する意識が根強く残っている。これに似たようなものが今もあるかも。「観光旅行は一人あたり年1回」はさすがにないけど「海外旅行は一人あたり年▲回」という心の奥の意識が会社組織のお偉いさんには根付いているようです。私は、かなりの頻度で台湾へ行っていますが、周囲への気遣い、なんか感じるオトナの心の声を敏感に察知しています。
・パスポートは繰り返し使えなかった(パスポートの歴史は面白い)
・所持金の携帯方法の変化→中国旅行へ行く時の事情が面白い
・昭和30~40年、アジア旅行が不人気だったわけ→貧しい国日本
・海外旅行ガイドブックにみる中台の記述の変化
・昭和47年日中国交正常化後の中国への政治的配慮がガイドブック紙面の随所に(反面、台湾への配慮は)
・日本国外で、日系人以外のコミュニティーの言語として原題も日本語が使われているのは、おそらく台湾が唯一
・親日家イラン人…、これわかるわかる(笑)
・着物姿の外国旅行が奨励された昭和30年代
・「旅行は本来男がするものだ」「女のひとり旅は、身の上で何か思い悩んだ末の行動」という奇異な見方(アホらし~)
・「女の値段」が書かれているガイドブック。日本男子の香港・台湾ナイトライフ(当時の投稿記事もあり、リアルで妖艶で、そして、日本人として恥ずかしい)
・男性目線旅行(想像にお任せ。ここでは書けない~笑)
旅行ガイドブックや、時刻表、パンフレットから見えることがたくさんありました。国交事情が大きく絡んでいることも分かります。その事情に対する抵抗や色んな思いもあります。ただ、その国が好き、その国へ行きたいという思いを大切に政治やお国事情に翻弄されない自分流の意志とスタイルを持っていたいと思います。
小牟田 哲彦著『旅行ガイドブックから読み解く 明治・大正・昭和 日本人のアジア観光』、まぁ、いっぺん読んで下さいませ