院試から3日。

自分の実力を発揮するという意味では、勉強の過程も含めて、妥当なものだったと思う。


いつ勉強を始めるか、広い範囲からいつどこをどんなふうにとれだけ勉強するか。

こういった1つ1つの判断も含めて、自分の実力である。





結果に対する周囲からの反応が全く気にならないと言えば嘘になるが、本質的なところでは結果はどちらでも受け入れられるものである。



合格であれば狂喜乱舞してフランク・シナトラばりに「I love Paris」を歌っておくし、不合格であれば、歌はドリス・デイくらいのトーンにして、「普通は受かる」といわれる試験に落ちるような勉強を「妥当」と判断した自分の考え方を見直すだけである。

そして、自分の実力というのは変えうるものだと信じたい。







大学入学前の自分は、何かいかにもらしいことをうだうだ語ったり、文化的な話をしてみたりといったことには全く縁も興味もなかった。むしろ、そういったことを忌み嫌っていた。


それはまさにあの、英語の例文でよく見かけるところの「Easier said than done.」(言うは易し、行うは難し)ということを常にはっきりと自覚し肝に銘じていたからだ。





ところが大学に入って以来、どこかで「言う」ことと「行う」ことの位置が逆転してしまった。


おそらくきっかけは、「これまで『行う』ことばかりをやってきた。ここらで少し教養を身につけて『語る』時間をとる必要があるんじゃないか」という意識だったのだろうと思う。


それはそれで良かったのだろうし、必要なことだったとは思う。




しかし今、大学院入試を目前に控え、「あなたはいかに『行う』ことができますか」ということを厳然と問われている。


結局のところここに至っては、物知り顔で、楽しげに、そしていかにも知的な顔でどれだけ気の利いた言葉を並べようと、そんなものは何の力にもなってくれはしないのだということに改めて気付かされる。





モチベーションはあるはずなのに、なぜか物事がうまくいかない、ピリッとしないという時がある。


そんなとき、読むとハッと目が醒める思いのする本がある。





Quelle vie est la tienne?


2、3年前に古本屋で買った、茂木健一郎の著書。



「なんだ、茂木健一郎か・・・」とガッカリする人もいるかもしれないが、うまくいかないときこの本を読んで何度救われたか(笑



Quelle vie est la tienne?

サインも入っている。。







院試まであと10日。


これまでは思い通りの進め方ができている。



このまま最後までスマートにいけば一見よさげだが、経験上、実はあまり良い結果にはつながらない。





最後は泥臭さ・ねばり強さがモノをいうことを自分は身をもって知っているはずだ。


とにかく必死にあがいてぶち当たる気持ちがないとだめだ。




明日から京都で研究室旅行ということで、今日、一足早く現地入りした。



現地集合・現地解散というのが面白い。









地元のラーメン店で簡単に夕食を済ませて、宿近くのバー「高円TAKAMADO」で軽く飲む。





タラモアデューをロック、ラガブーリン16年をトゥワイスアップ、カルヴァドスPOMME D'EVE(ポム・ドゥ・イヴ)のロックと鉄壁のローテーション(笑



バーで飲むのは久しぶり、とても楽しい時間だった。




マスターとも色々な話で盛り上がり、こんなお土産まで頂いた。


Quelle vie est la tienne?


なんでもマスターの知り合いが作っているらしく、東京でも紹介してほしいとのことで。。



まだ飲んではいないが、生姜・はちみつベースにカラメルが芳ばしく薫るとのこと。


水で割っても良いし、おすすめはミルク割りらしい。







それにしても旅行先のバーは、なぜかマスターと話したくなる。



思えば去年の夏、東京―豊橋サイクリングで三島市に泊まった時も、「Bar Mag Mell」の無愛想なマスター相手に色々話をしたものだ。







旅の思い出はバーにあり(笑







今日はテレビをつけたら、ちょうどマンUがマリノスに負けるかというところで、試合終了後もボーっと見ていたらボクシングのタイトルマッチが始まった。



ボクシングはほとんど見たことがなかった(アニメ「あしたのジョー」は見た)が、今日の試合は本当に楽しめた。




サッカーでもボクシングでも、そしてスポーツに限らずとも、徹底したプロ意識のもと磨き上げられたパフォーマンスは美しいなと切に思う。





ショウペンハウエルが言うように、最上の避難所として神が人類に与えたもうた自殺の能力が切に必要とされるようなこの苦悩に満ちた人生において、あれだけの滲み出る努力を積み重ねていることへの畏敬の念がそう思わせるのか。




こんなことを思うようになるとは。とうとう焼きが回ったか(笑





一年くらい前はちょくちょく音楽CDを買っていたが、最近は全くだなぁ、となんとなく思う。



別に音楽に深いこだわりがあったり、特にどれこれのアーティストのCDがほしいとかではなく、単に普段寝るときに流すCDが全部聞き飽きたものばかりになってしまったというわけである。





明日あたり中古ショップでも物色しに行ってみようか。。





それにしても、寝るときに音楽を流すのはとても難しいと感じる。



音楽を流す目的は趣味・リラックスだが、もう1つ重要な役割として、寝つきを良くするというのがある。





音楽の種類によって寝つきが良くも悪くもなるのはごく自然なことだと思うが、経験上、音楽を流す音量が非常に大切な気がする。



音が大きすぎると寝られないのは自然なこととして、逆に小さすぎても寝られない。


音が小さすぎると、音楽を聴くために気を遣ってしまうからだろうか。




大きすぎず小さすぎず、耳障りにならずかつ聴くために集中する必要もない音量、自然に耳に入ってくる音量、身体を静かに浸す音量。





ただ当然、いざ寝ようというときになって、音量をああでもないこうでもないなどとやっていたら、寝られるものも寝られないので、CDごとにオーディオの音量を覚えるようにしている。



ブーニンのあのCDは32、フジコ・ヘミングのあれは28、ノラ・ジョーンズのあれは・・・・・・という感じである。




ただ、例えばブーニンのショパンCDなら革命のエチュードのように、他の収録曲と比べて極端に音量の大きな曲が入っていたりするのが悩ましかったりするが。




正直、寝ようとしてるのに革命なんて言われても困る(笑





小・中・高校時代の同級生で、現在は某mzh証券に勤めている友人から今日電話がかかってきた。


高校で2年間同じクラス、いつもつるんで大学受験も文字通り共に戦った友人である。




春に、「近々会って飲もう」という話をしていたのだが、ヤツは宇都宮勤務・在住で僕は東京と、近そうで遠い地味な距離感からなかなか実現できないでいた。





しかし今回、どうしてもお互い話したいことがあるしちょうど3連休だしということで、明日の夜、僕が宇都宮に行くことになった。





小学校では“モンスター”と呼ばれ、サッカー部のエース・硬式野球クラブの主将、中学・高校では陸上部のエース・400mハードル全国8位、おまけにケンカ最強という、スポーツでは地元の顔、いわゆるガキ大将であったヤツ。


対して僕は、小学校時代身長は常に学年最下位、同じサッカー部でも普通のレギュラーだったくらいで、ヤツと一対一で渡り合うというのは全く想像できなかった。




しかし面白いことに、勉強というのが入ってくると様子が大きく変わった。


中2にもなって高校受験を意識し始めると、僕は勉強ができるのを良いことに、先生に楯ついて偉そうな態度をとることに快感を感じるようになった。


「俺は勉強ができる。お前らどれだけ頑張ってもこんなにはできないだろ~?」そんな感じである。



こういう態度は高校卒業まで、厳密には大学受験に落ちて浪人が決まるまで続いた。




別にあの時期の態度とか考え方が良かったとは思わないが、田舎の狭い世界で頂点に立ったような気分で威張っていたのを思い出すと、微笑ましくもあり楽しい時期だった。



そしてそんな中で、ヤツからも一目置かれるようになったのだと思う。





まぁ、今でもなぜ友人になったのかよく分からず、どこか不思議な感じもするのだが、大学生・社会人と環境が変わっても一緒に酒を飲みたいと思えるのは素晴らしいことである。








思い出す~



というのは大好きな歌の1つだが(笑




上映会やゼミ、院試の勉強など、諸々重なって結構大変だった時期が過ぎ、ここのところは大分自由に時間を使えている。



ただ昨日、研究室の資料作成で思いもよらぬダメ出しを食らったこともあってか、若干のフラストレーションが溜まっているのも感じる。



僕は、何というか、物事に取り組むとき、その価値とか、どれだけの労力をかけるに値するかを見定めて、費やす時間や精神力を決めているのだが、彼らにはそういう発想がないのか!?


あまり愛情を感じないけれどやらなければならない物事は、騙し騙し適当に流し、本気でやると決めた事には全精力を注ぐ。



いくつも仕事を抱えてどれも均等に見栄えするくらいに仕上げる、というのは世渡り上手で評価はされやすいかもしれないが、一体そんな風にして得られた成果が何になるのか。


そんなものは連綿の時間に流れ忘れられていくだけではないのか。



そんなことをやりながら詰まらない大人になっていくんじゃあないのか。





もちろん社会が円滑に回っていくためには、こういう何でも安定してこなす人が必要なのは確かで、東大こそそういった人間をどんどん生産する使命を担う場なのかもしれない。



しかし自分について考えるにつけ、どう逆立ちしてもそんな人間にはなれないと思わざるを得ない(笑


資本主義が蔓延ると、それに対する形で人間の情念とか欲望をへの憧れを含んだロマン主義的な考えが生まれてくる。



そうすると自分はロマン主義的な志向を持っているのかなぁ、と考えたりもする。




まぁ、もういい加減やめよう・・・




何だかこんなことを考えていたら、これまでの学生生活が急に懐かしく思えてきた。

























今日は映画サークルの上映会があった。


これまで上映会と言えば、春と秋の学園祭企画として(何となく漫然と)行われていたのだが、今回はサークルの社会人OBが発案・企画し、場所も学内ではなく文京区のホールを借りて行うという試みだった。



サークルの現状を考えるにつけ、OB・OG世代が上映会を開くに際しては諸々の思いが感じられ、僕としても自然と「手を抜けないな」とか「深く関わりたい」といった気持ちになっていた。




結果として、配布パンフレットの表紙絵デザイン、作品の出品を行い、この文章を書いている今は、程よくお酒も入って心地よい達成感で満たされている。






本当に良い企画だった。


今日は気持ちよく寝られる。







西ヶ原から田端に引っ越してからずっと自分の机がなかったのだが、少し前にamazonで購入した。


机の木材はおそらくラワンで、化粧材でなくしっかりと木で作られている。




Quelle vie est la tienne?



幅75cmのサイズは大きすぎず小さすぎず、とても収まりが良い。


置けるものの量にも限りがあるので、散らかってきてもすぐに片づけられる。



小・中・高校で使う学習机の大人バージョンといった感じか。。





決して高級ではないが、木の机で自分だけのスペースを作って作業するのは楽しい。