機を見計らったように風邪をひいた。
休むのにこれほど都合の良いことはなく、1日中、布団にくるまってボーっとしていた。
それで、今日の晩ごはんは弟が作ったのだが、主食が久しぶりのコメだった。
メニューはカレーライス。
ここひと月くらいずっとコメを切らしていたのだが、何故かお互い買いに行かず、うどんとかパスタ、パンばかり食べていたのだ。
主食というのは、心と体を支えるのに本当に大きな役割を担っているのだなと改めて思う。
やっぱり日本人はコメを食べないと元気が出ない。
今日は、昨日も書いたワークショップのパネルを、研究室に搬入した。
ちょうど助教の先生が作業をしており、パネルを見てこういった。
「お疲れ様、ちょっと密度が薄いね」
正直、感じる意思とセンスのない人間とのやりとりはつらい。
そして、切に思う。
来年以降、この研究室を出る決断をして正解だったと。
こんな場所にいたら、自分はダメになってしまう。
前にも少し書いたが、GSDW2013というワークショップで、銀座6丁目の街区の設計に取り組んだ。
僕らのテーマは「銀座に畑をつくる」
ここに詳しくは表せないが、Japanese Agriculture=‘Noh’ととらえ、日本の「農」のあたたかみ・信頼を日本全国さらには世界に向けて象徴的に示す空間を目指した。
ワークショップ自体は既に終了したものの、銀座での市民発表会が11月末に予定されており、ここ1週間は発表に使うA0パネルと1/200模型の制作のため、半端ではない忙しさだった。
とことん納得いくまで案や模型をスタディしていたら、10/11の提出締切に全く間に合わないような状況に陥り、結局、直前の3徹&事務局に頼んで提出遅れに目をつぶってもらうことで、今日の朝6時、なんとか提出することができた。
時間によって天窓からの光が豊かな表情を見せる
雨が降れば天窓から水が滴り落ち、その音が構造物中に静かに響く
模型は発表本番まで作り込むことができる。
何としても良いものを作り上げたい。
最近「減速生活者(ダウンシフター)」という言葉が気になっている。
米国の経済学者ジュリエット・B・ショアが、著書『浪費するアメリカ人』(森岡孝二訳、岩波書店、2000年)の中で述べた言葉で、「過度な消費主義から抜け出し、もっと余暇を持ち、スケジュールのバランスをとり、もっとゆっくりとしたペースで生活し、子どもともっと多くの時間を過ごし、もっと意義のある仕事をし、彼らのもっとも深い価値観にまさに合った日々を過ごすことを選んでいる」人たちを指すものである。
東日本大震災はもちろん、田舎ブーム・農業ブームなどの影響もあるのか、最近メディアで耳にすることも多い言葉である。
個人的に気になっているのは、この「減速生活者」という言葉が、高度資本主義経済・消費社会を否定的に捉えているということである。
資本主義は言うまでもなく、米国を始めとする主要先進国・開発途上国の経済を成り立たせている仕組みである。
近年のますます高度化する資本主義に対して、漠然と否定的な感情を抱きたくなるのは宜なるかなといったところであるが、そうは言ってもこのシステムは当面、経済の支配者たり続けるであろう。
そんな中で、「減速生活者」だとか何とか言って資本主義から距離を置いたところで、結果は精々経済・社会・人類のお荷物になるのが関の山である。
「減速生活者」という発想が気に入らない。共感できる部分がないわけではないが、全く生産的でないのはやはり問題だ。
であるならば発想を転換しよう。
10年間とにかくキチガイみたいに働いて、一般サラリーマンの生涯賃金を稼ぐ。
スローシフトするのはそれからにせよ!
資本主義システムにおける究極の勝利者、社会の功労者、自己人生の主人公たる彼・彼女らに万歳!
なんとか院試が終わったと思えば1週間にわたるデザインワークショップでエネルギーを使い果たし、流石に数日くらいチャリで走り回りたいと思うのだが、なんと25日には卒論の中間発表が控えている。
なんだかこれまで数年間、授業は適度に、本を読んでお酒を飲んで旅行をして映画を観てと、まさに悠々自適な生活をしていたからか、こういう風に少し忙しいと、かなりしんどく思われる(笑
最近は、宝くじでも当たらないか、と案外真剣に考えてみたりもする。
生きるためにお金を稼がなければならない、という条件がなければ、人生は本当に自由で充実したものになると思われて仕方がないのだ。
しかし、こんなことを言いながらも実は、人生の苦悩・悲哀・ルサンチマンみたいなものをひしひしと噛み締めながら生きる日々こそが一番幸せなんじゃないかと、そんな思いも持っている。
9/6から始まったGSDW(Ground Scape Design Workshop)2013も、今日中間発表を終え、いよいよ面白さ全開という感じになってきた。
今年の対象地は銀座、設計範囲は6丁目周辺の、並木通り、すずらん通り、交詢社通り、銀座通りに囲まれた街区である。
タイトなスケジュール、名だたる先生を前にしての発表、グループメンバーとの議論・スタディ・雑談などなど。
逃げ出したくなるような辛さを感じるときもあれば、面白いアイデアが浮かんでココロ踊る瞬間もあり。
難しい課題だが、徹底的に考え抜いて納得のいく解を打ち出したい。
そしてワークショップの最中9/9、ついに院試の結果が発表された。
試験後から、「さすがに落ちただろ」と覚悟を決めていたのだが、なんと普通に受かっていた(笑
しかも配属先研究室の希望までちゃんと通っていた。。
世の中不思議なことがあるもんだ。
「あぁ、自分は東大に見捨てられてないなぁ」
と思う瞬間であった。
そういえば、学部入試の合格発表後も同じようなことを考えていた(笑
大学4年生も折り返し地点を迎え卒論テーマも決まった。
いよいよ本格的な取り組みを始める時期である。
研究室の先生との議論の結果、自分に与えられたテーマは
「常磐橋の設計デザイン思想」である。
常磐橋は、日本橋川の東京都千代田区大手町と中央区日本橋本石町間に架かる、現存する都内最古の洋式石橋である(明治10年竣工、設計者・山城裕介)。
常磐橋を通して、江戸から東京への近代化の過程と、その背後にあった設計者・政府の思想などを読み解くことを目的としている。
また、現在国交省を中心に検討されている、日本橋周辺の空間整備に関して有益な知見を提供することも実際的に重要な課題であると考えている。
研究室の2人の教授(中井祐、北河大次郎)の専門分野や興味を考えるにつけ、自分のテーマは、まさに今取り組む必然性を持ったものであると感じられる。
この重要なテーマを快く自分に与えてくれた先生方に感謝の気持ちを感じるとともに、自分の来年以降の去就がどうであれ、何としても良いものにしなければ、自分にはそういう責任があるという思いである。
論文を書くにあたっての出発点、すなわち問題意識や目的を見定める時期という意味で、今は非常に重要な時期である。
既往研究・両教授著作の分析など、とにかくこれまでとは心を入れ替えてやっていかねばと感じている。