心の底から喜べることが


これから先どれくらいあるんだろう


俺はいつでも


俺を俯瞰している


監視しているんだ


俺は俺にみられているせいで


奔放になれない


気が休まらない


そんなふうになったのはいつからだ


俺の中で


批評的な


批判的な俺が乖離して


三人称視点で


俺を見張り出したのは


多分小学生の時


俺をいじめてきたあの


禍々しい空気のせいだと思う


俺はそれから


目立たないようにしてきた


俺の家は新興宗教にハマっていた


最近になって知ったのだが


ああいう人らが


熱心に布教活動を行うのは


周りの人間からの信頼を失わせて


信者が孤立する事で


信仰心をさらに深めようという


教団側の策略らしい


例に漏れず俺の親も


同じ学年の保護者連中にまで


熱心に布教を行うもんだから


俺の方まで孤立していった


教団の集会にも駆り出され


謎の儀式を手伝わされたり


教義を教え込まれたり


信仰体験を延々聞かされたり


俺はそうやって


「信じることは恐ろしい」


という思考を


当たり前に芽生えさせた


新入社員になった今


ものすごいデジャブだった


会社とはまるで


あの教団と変わらない


社会貢献に辛うじてなっているだけで


やっていることは宗教だ


俺は別にそれが悪いことだとは思わない


ただ俺はそんなこんなで


何一つ信じられないのだ


会社の言いなりになって


幸せなふりをして


成功をしたフリをして


仲間を手に入れたフリをして


そうやって生きていくことを


俺を監視している俺は


嘲笑っている


あの仲間外れにしてきたあいつらみたいに


何かに染まることは


何かに染まれないことだ


俺は無色でいたい


透明でいたい


朱に交われば赤くなり


青に交われば青に


緑なら、黄色なら


どこにでもいたいし


どこにもいたくない


孤独でいい


染まりたくない


だから俺は


心の底から喜べない


何も選べない


何にも偏りたくない


ただ、そう思っても


俺はそのバランスを取れないまま


このまま転がり落ちていく


空を見ていた


真っ暗だった


空かどうかもわからない


それは宇宙につながっているかもしれないし


ただの箱の中かもしれないし


棺桶の中かもしれない


落ちていく


不幸になることだけが


幸せじゃないのに


それなのに生きていることだけが


俺にとっての免罪符だった


報われないことが唯一の救いだ


かなしいうたしか


俺は歌えない


かなしいうただけが


口から溢れ出す


かなしいうただけが


届けばいいと思った


かなしいうたを


俺は歌ったんだ