こんにちは。
人生も半世紀を超え、ぼーっとしてインプット・アウトプットを怠るとすぐにお爺さんになってしまいます。
これではいけないと、ちゃんと定期的にアウトプットしていこうと気持ちを新たにしております。
しばらく「月刊ライフサイズ」の投稿だけしておりましたが、そのほかの他愛のないことも含め、
今後は年に50回の更新を目指してブログを書いていこうと思っております。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

さて、今回は唐突ですが自社(ライフサイズ)の採用について書かせていただきます。
知らない方がほとんどだと思いますので、あらためてライフサイズについてから始めます。

ライフサイズは今から18年前、2007年のこと、当時リクルートに勤務していた3人で創業をしました。
リクルートの100%出資子会社から吸収合併という形で親会社だったリクルートに1年ほど勤務し、
1年だけしか在籍していないリクルートを退職して、R(リクルート)卒業生と名乗っている次第でございます。
はい、似非(えせ)ですね、完全に似非R卒業生です。

Rの子会社およびRに10年在籍し、なぜそのときに辞めて創業しようと思ったか。
そんなところからご説明して、ちょっとでもライフサイズという会社にご興味をお持ちいただけると嬉しいです。

そもそも、Rの子会社、中四国リクルート企画(以降SRKと書きます)に入社したかといいますと、
大卒で入社した会社を20日足らずで辞めたことからお話ししないといけません。
一応、大学の工学部を卒業した私は、メーカーとか機械商社とか、エンジニアリング系の企業に就職するのが、
妥当な選択というか、(たいして考えず)そんなもんだろうと思ったのです。
事実、同学部の友人の多くも、メーカー、機械商社、エンジニアリング系の企業に就職しました。
加えて私は長男なので、これまたなんとなくですが、地元に戻って就職するものという感覚がありました。
在学時の成績が悪かったので、希望の企業の推薦(当時は自由応募よりも教授推薦?みたいなのが多く)は
ほとんどもらえなかったというように記憶しています。
なので、大学卒業後に就職した会社は親戚の紹介、縁故によって決まりました。いや、採ってもらいました。
そして、その会社を20日足らずで辞めてしまいます。

なぜ辞めたのか。

学生時代にガソリンスタンドで3年半働き、ろくに授業にも出席せずアルバイトにまみれていた私は、
店舗の数々の販売キャンペーン(タイヤとか水抜き材とか)で全5店舗の中でも好成績を上げ、
気づけばアルバイトリーダーになっていました。
多い月には20万円近くの月給があり、アルバイトとはいえ部下も数名いましたので、
それなりにやりがいも感じていましたし、働くうえでもいろいろ融通が利いていました。
一言でいうと楽しかったのです。

そんな私が就職したのが設備系の建設業です。

ガソリンスタンドのお客さんにはそれこそ色んな方々がいました。
一般客としてのサラリーマン、法人契約している企業の社員の方々、社長、飲食店のオーナー、主婦、
車の腹をゴリゴリいわせてガソリンスタンドに入ってくるヤンキー、、、
そんなたくさんのバラエティー豊かなお客さんからいろんなことを教わっていたので、
建設現場のコミュニケーションが楽しいと思えなかったんでしょうね。

また、当時はサービス残業(今は珍しいかもしれません、何時間働いても固定月給というもの)だったので、
結構遅くまで働いても、手取りの月給は20万円に届かないのが当たり前でした。
このとき率直に思いました、月曜から土曜までフル勤務して働くほうが、
学生しながらバイトするよりも、給与が少ないなんてなんか変。それが当たり前?ほんとに?
いろいろありましたが、今思えばこれが辞めた一番の理由かもしれません。

就職した会社を20日で辞めて早くも転職活動、そしてSRKに出会うまで。

当時、1997年4月に同級生で転職活動をしている人は本当に少なく、今のようにSNSもありませんし、
転職情報は雑誌の時代でしたから、孤独な寂しい転職活動を体験しました。
今、キャリアコンサルタントとして、次の就職先が決まる前に退職をすることはお勧めしませんが、
私は完全に間違ったパターン、次も何も決めずに、まず退職を決めてしまいました。
辞めたその日に転職情報誌を数種類買いにいきました。
その買った転職情報誌に掲載されている企業、ほとんど聞いたことがない社名でした。
(私が無知なのもありますが、1997年当時、中途採用は大手ではなく中小企業がするという感じがありました)

あらためて何をしようかと考えを巡らせた結果、大きくは次の3つを叶えられる会社がいいと思いました。
(当時の職種や業界の知識がない状態で思ったままを書きます)

1.働きと実績によってちゃんと評価される
2.人との出会いが沢山ある
3.街が活性化するような何かに携われる

1については、会社の評価制度や業務内容によりますが、何となくそんな雰囲気がする会社を選んでいました。
2については、ガソリンスタンドではお客さんを待つしかなかったので、
お客さんを待つのではなく会いに行ったほうがいい、そう考えると営業しかないかと思いました。
3については、何が街の活性化につながるのか、行政でそういう仕事をするのがいいのか、
また建設業で何か建物を作るのがいいのか、なんて考えたりしましたが、当時B-ing(※)に掲載されていた
SRKの求人広告の【事業内容】に地域活性化事業と書いているのを見て、これだ、これしかない。と思い応募しました。
簡単ではありますけど、給与もいいし評価によって昇給するし、何よりも地域活性化事業をやっている(はず)。
これが転職先にSRKを選んだ理由です。・・・選んだというよりも拾ってもらったんですけどね。
※B-ing リクルート発行の転職情報誌

そこで10年、きっちりと働いて(この10年間のことについては、こちらに書いています)、
2007年に転籍をしたリクルートを退職し、ライフサイズを設立しました。
10年間(9年SRK、1年リクルート)働かせてもらって、30歳を過ぎたあたりでしょうか、
そろそろ自分で何かをやってみたいと思うようになったのです。
そう思っているのですが、10年近く勤めた会社を辞めるとなると、なかなか踏ん切りがつかないものです。
そんな私の背中を強く押したのは、親会社リクルートへの吸収合併、リクルートへの転籍でした。
SRKで働いていたときは組織の人数も100人未満でしたし、自分のやっていることが組織に与える影響や、
自分自身の成長感なども、かなりダイレクトに感じることが出来ていました。
でもリクルートに転籍すると、そこはもう8000人の会社(当時)。
すぐに自分自身が完全に組織の歯車だと感じるようになりました。
SRKよりも給与は増えたし権限もあるし、勤めている会社は(色んな意味で)有名な大企業なのですが、
働いている当人としては全然面白くない。無理だ、辞めよう。
そう思うことが出来て、32歳の時に組織を飛び出すことができました。

会社を創るとなったときに。

またもや、10年前にした転職活動と同様、何も決めないまま退職が先に決まりました。笑
とはいえ、幸いにも退職を申し出てから実際に退職するまでに1年もの期間がありましたので、
そのときに「どんな会社にしようか」じっくり考えることができました。
事業内容から考えようと思ったのですが、そういうプロセスでは考えにくかったので、
物事をやるときに、自分にとって何が必要なのか、といことから考えることにしました。
自分にとって大切なのは何か、それは何をやるかではなく誰とやるか。
誰とやるかによって、捉え方は大きく変わる。そしてもっと大切なのは誰がやるか、そう、つまり自分です。
そんな自分は物事をどんなふうにやりたいのか。
派手なこと、目立つことをしたいのか、いや全然興味ない。
儲かることがいいのか、いやそれだけではない。
・・・ぐるぐると考えた結果、(自分自身が成長できる事業で)成長しながら、身の丈に合った仕事がしたい。
という自分の価値観に気がつきました。
そのときに決まったのが社名ライフサイズ(=身の丈、等身大)です。
創業のときに自分以外にも2名のメンバーも一緒に始めることが決まっていたので、
社名は創業メンバーの3人で決めました。

・・・

どんな会社にしようか考えた結果、成長しながらも身の丈に合った仕事をする会社にしよう、
このことと、SRKやリクルートで学んだ人の活かし方、評価・給与の考え方など、
良いところは、なるべくそのまま真似した組織にできるといいと思ってスタートしました。

“何かの営業をする”ということ以外、事業内容をほぼ決めずにスタートしたのですが、
古巣であるリクルートの元上司や同僚のお力添えと愛情で、元の組織の業務を受託させていただきました。
しかし2年目にはリーマンショックがあり、Rの受託業務にずっと甘えている訳にもいかないと思い、
かつての大先輩や知人、元同僚のもとに情報収集に出かけたりしていました。
そんななか縁があって、高岡さん(リージョンズ社長)と丸山さん(クライス&カンパニー社長)と一緒に、
U・Iターン職業紹介の全国ネットワーク、リージョナルスタイルを設立することになります。
そして、これが現在、ライフサイズがU・Iターンに特化した職業紹介事業を営んでいる理由です。

・・・いくつもの偶然と物語があるのですが、今回は思いきり端折って書かせていただきます。

そんなライフサイズには創業からこれまで10名が働いてくれました。
現在はそのうち5人が在籍し、しっかり活躍してくれています。
もちろん、いや、ありがたいことに辞めていった5名とも時々連絡をくれますし、
友好な関係が続いていると(私は)思っています。
それぞれ新天地で目覚ましい活躍をしているのを見て、自分には彼らを活かす力が足りなかった、
と少しだけ反省することもあります。

さて、ここでやっと採用の話になりますが、現在の5名(私を含む)は、
キャリアコンサルタントが3名、スタッフが2名の役割分担で働いています。
今回、採用したいと思っているのは、コンサルタント2名とスタッフ1名です。
今年中に良い人に出会えれば採用したいと考えています。

それぞれの業務については、こちらを詳しく見ていただければと思いますが、
なぜ採用を考えているのかについて、ここでは書かせていただきます。

ひとつは、私たちの仕事の需要が今後ますます増え、社会にとって必要になっていくと感じているから。

現在の働き方や会社の寿命を考えると、1社で定年まで働いて終わりというキャリアプランは考えにくいです。
学業を終えて就職をして、少なくとも3~4回の転職をするのがすでに当たり前になっています。
また、何度か転職するにしても、20代~50代それぞれの年代での転職は留意すべき点がまるで違います。
また、転職先を選ぶということだけでなく、自身のキャリアをどのように形成していくのか、
各々がしっかりと考えて、慎重に意思決定していくことが必須の世の中になります。
こういった前提の世の中で、自分だけで考えて、思い通りのキャリアライフプランを描くのは困難です。
私たちは常にそういったご相談をいただきながら、生きた事例と共にコンサルティング力を磨いています。
こういった役割の仕事が、今後ますます必要な世の中になっていると感じます。

もうひとつは、正直な話、コンサルタントの3人は全員が創業メンバーですので、
私を筆頭にですが、もう結構な年齢になっているから。ごめんけど、スタッフも若くはありません(笑)

この仕事のいいところは、年齢を重ねても長く携わることができるところだと思います。
ですので、私たちが朽ち果てるまでこの仕事をやりきって、できなくなったらそこで終わる、
そのようにするのも一つの選択肢だとは思います。
でも、些細なことですが、最近そういった考えを改めないといけないと思う事がありました。
私もいい歳になりましたので、仕事のクオリティが下がらないよう、なるべく健康的な生活をし、
必要な体のメンテナンスをしっかり続けながら頑張っています。
いつも体のケアをしてくれているお医者さんが数人いるのですが、年齢はみなさんだいたい私の20歳ぐらい上です。
(パーソナルドクターではないですよ、内科とか胃腸科、歯科などのかかりつけ医です)
・・・あと10年経たないうちに、きっといくつかの病院はやめちゃうんだろうな、後継ぎがいないところは。
そしたら誰に診てもらえばいいんだろう。。
これと同じとは言いませんが、もしかして私のクライアントも同じように感じてる??
そんな風に不安を感じさせるようではだめだな、ちゃんと若手を採用して育てなきゃ。
そう考えるように、心境が変化してきました。

また、ほぼ未経験からキャリアコンサルタントが成長するまでの時間がどのくらいか。
成長が早い人もいると思いますけど、最低でも1年はかかりますし、主要なクライアントを担当するには、
3年はかかるんじゃないかと思います。
ですので、そろそろ若手コンサルタントを育て始めないと間に合わない、と感じています。

かなり一方的に市場ニーズと自社の勝手な都合ベースで書かせていただきましたが、
当然、働く側にも様々な都合や想いがあると思います。
たまたま広島・福岡にUターンしたいと思っているから、そんな理由もU・Iターン専門の紹介会社としては歓迎です。
何かが折り合って、双方にとっていい出会いになるといいのですが。

興味がある方は気軽にご連絡いただけると幸いです。

(リージョナルキャリア広島のエントリーページでお問い合わせください)