
知識社会では、教育が中心の問題となり
学校が中心の組織となる。
長い歴史を通じ、あらゆる職種において、18、9歳までの5年から7年の従弟時代に学んだ技能によって、一生職人としてやっていくことができた。今日では、学校教育によって、理論的分析的な知識を身につけなければならない。仕事に対する姿勢とアプローチも昔とは大きく異なる。何をおいても、継続学習の習慣を身につけることが必要となっている。
それでは、あらゆる人間がもつべき知識とは何か。学ぶことと教えることの質とは何か。知識社会では教育が中心の問題となり、学校が中心の組織となる。実に、学校教育における知識の獲得と配分にかかわる問題は、資本主義とよばれたこの2、3世紀における所得の獲得と配分にかかわる問題と同じ政治的位置を占めるようになる。
(ドラッカー365の金言 5月9日より)
・何をおいても、継続学習の習慣を身につけることが必要となっている。
・資本主義~所得の獲得と配分に係る問題と同じ政治的位置を占めるようになる。
・・・とても厳しいことが書いてありますが、読んでみての感想は「スッキリ」です。
なぜかといいますと、私は大学を卒業した時に「あ~あ、これで勉強も今日で終わり、これからは仕事して稼ぐぜ!」と思ったのです。
しかし、とあるきっかけでリクルートグループに転職入社し、さほど勉強していなかった大学時代よりもはるかに勉強することが多かったのです。
その時に、「なんで社会人になってまで勉強せないかんの?」と疑問に感じたりしたのですが、やがて世の中の仕事の大部分がコンピュータを使って行なわれるようになると、お話する経営者の口々から聞いたのは「これからはラーニングアビリティが必要だ。特にSE、PGには重要だ」ということだったのです。
ああ、SEやPGの人たちは大変だな、と思ったのですが、「まてよ、これってIT系の技術職だけに言えることか?」と思い直し、世の中みんな勉強し続けないといけないんじゃん、と気付いたのです。
そのときから私のモットーは「一生勉強」なわけですが。
さて、冒頭の話に戻りまして、なぜ「スッキリ」だったかと申しますと、現代のような資本主義社会において、ちゃんと生き残っていこうとすると「勉強し続けることが重要だ」と、それがはっきりしているから、わかりやすくていいじゃんと思ったからです。
現代じゃない時代だったら、もっともっとやることが多かったかもしれませんし、勉強だけしてて生き残れるか!武力も、インフラがない場所で生き抜く生命力も、色気も磨かないと生き残れないぜ、何て言われたらかなわんなと思ったのです。
さて、というわけで勉強し続けてしぶとく生き残ってまいりましょう!
さ、とは言え今日は帰ろう。
帰るんかい!
なんつって。
ほな
