退職することもR社内でオープンになり、引継ぎをする毎日となった。
毎日、おいらの担当しているお客さまに電話をして、
「引継ぎのご挨拶にお伺いしたいのですが」
と言うと、決まって
「ありゃりゃ、いよいよ転勤することになったの?」
と言われた。
おいらが入社したのは、SRK(中四国リクルート企画)だったので、
転勤といっても中四国の範囲内でしかないし、そもそも転勤はほとんどない会社だった。
でもRは全国組織だし、もともと転勤の多い会社なので2年で異動があったりする。
管理職になるときなんて、昇進とセットで転勤があるぐらいだ。
お客さまの方も、Rの様々な部署と取引がおありなので、
「なんでこいつは転勤しないんだろう?」と長年不思議に思っておられたそうだ。
お客さまから見れば、RもSRKも関係ないわけで、おいらは知らないうちに
10年もウチを担当する不思議なヤツだったそうだ。
「いえ、この度晴れて退職することになりまして」
と、あらためてお話しすると、
「懲戒?何やらかしたの?」
と、お茶目なことを言われる。
いえ・・・、懲戒じゃなくて自主退職です。
何かやらかしそうに見えたかもしれませんが、何もやらかしてないです。
Rでは、残り少ない出社日をそんな風に過ごさせてもらい、
夜な夜な会社設立に向けて準備は加速していった。
結局、事業内容はどんなものにしようかと考えた結果、
「顧客の営業をサポートする事業」を始めようということになった。
日々、お客さまと会話したりする中でだいたい困っておられるのは、
人材採用、教育、営業活動、商品開発、資金繰りなどだった。
ようは、[ヒト・モノ・カネ]だ。
で、モノとカネについては、モノ作りをする会社でも金融機関でもなかったので、
全く解決できる気がしなかった。
でも、ヒトについてはなんとかなるかもしれないという感じはあった。
しかし、Rと同じ事業領域で会社を設立するのはいかがなものかという思いと、
そんなことをするぐらいなら辞めなきゃいいのにと思ったので、
いわゆる人材系(採用・教育)にはタッチしたくなかった。
これまで10年間R(SRKとR)で働かせてもらって、ついたといえば、
人材系のノウハウと営業組織を作るノウハウだと思っていたので、
人材系が無いとなると、残るは営業系だったのだ。
毎日毎日、事業のイメージが浮かび、頭の中でシミュレーションして、
いや、これは無いな、とか、これならいけるかも、の繰り返し。
まだ退職したわけではないので、実際にお客さまに聞いて回ることも出来ない。
考えまくる事しか出来ない。1日に2時間しか寝れない日も多くなった。
そんな毎日を過ごしていると・・・、
顔がピクピク痙攣するようになった。
しかもそれが1ヶ月ぐらい治らなくて、あぁおいらはこのまま顔がピクピクした人になるのか。。。
と、早々に諦めた。まーいっかと。
考えるだけで行動に移せないというのは、おいらにとってはこの上ないストレスのようだ。
幸い、1ヶ月して顔のピクピクは治った。もちろん、病院には行かなかったけど。
よく寝て、よく食べて、よく遊んでを心がけたら良くなったような気がする。
そんな4月を過ごしていると、Rのみんなが送別会を開いてくれた。
誰かが、おいらの最終出社日を4月末だと思ったらしく(いや、聞かれて適当にそう答えたかも)、
とても手の込んだ素晴らしい送別会が開かれた4月以降にも出社して、
相当恥ずかしい思いをした。
その節はどうも。
さぁ、いよいよ会社設立まで2ヶ月と迫った。
つづく。。。