相変わらず悶々としていた。
頑張って、働いて、ちょっとずつ昇格して、昇給して、
ちょっと増えた手取りで飲んで、たまの休みに遊んで、
ストレスを発散したら、また働いて。。。
働くのって、何のため?
ちょうど、そんな事を考えていた頃、親父が定年退職した。
退職直後は「やっと労働地獄から開放される」と言っていたが、
いざ会社に行かなくなると、「ヒマだな~」と言い始めた。
そして、60歳過ぎると、世の中にそんなに仕事がない事も
その時に初めて知った。
ま、親父の場合は、その後、趣味や遊び友達が多くて、
別に空いた時間は遊びに費やしてもいいんじゃない?
と、陶芸やゴルフ、家庭菜園、愛犬ゴン太の散歩などに
多くの時間を費やすようになったのだが。
ふと、自分に置き換えてみた時に、あと35年ぐらいしか働けないんだ~
と漠然と感じてみたりした。いや、35年、人生の大半ではないか!とも。
同年代の起業・転職
親父の退職
自分の日常
この後の進路を考えた時に、この会社に残る・辞めて起業する。
そんな事がグルグルと頭の中をまわっていた。
起業にしても、転職にしても、非常にリスクが高い。
もし失敗したら、どうする?後には戻れないじゃないか。
だったら、この会社で出来ることを一生懸命やった方がいいんじゃないか。
迷いを捨てて頑張るしかないだろう。
・・・でも待てよ。
感じているのは、いったい何のリスクなんだろう?
確かに失敗しない事を考えたら、そりゃーリスクだわな。
でも、失敗せずに小さい成功を積み上げていくために生きてるんだっけ?
ていうか、成功することにそんなに執着したことあったっけ?
成功って、どこまでいけば成功なんだっけ?
・・・アホくさ。
そうだった、忘れてた。
おいら、成功ってあんまり興味ないんだった。
自分が生きていく中で、掴んでいきたいもの。
それは、
「成功」ではなくて「成長」
そう思ったとたんにスッキリした。
大学受験で滑り止めを一切受けず、全て県外の大学ばかり受けたのは何故か。
大学卒業して、入社した会社を20日あまりで辞めたのは何故か。
そして、どう考えてももっと楽な仕事はあったはずなのに、ちょっとキツイRを選んだのは何故か。
全部、その時よりもちょっとでも成長したかったからに他ならない。
危うく、判断の基準を間違えてしまうところだった。
当時の自分のレベルでは、まだまだ迷う段階ではなかった。
勉強することは山ほどある。まだまだ、追い抜けない人たちばかりだ。
ここで働くことで、もっとスゴイ経営者に会える。
そして、強烈な上司・同僚ともめぐり合うだろう。
まだまだ、自分を成長させられる。
ここで、やりきってみよう。一生やめたくなかったら、ここの社長を目指せば良いじゃないか。
そんな風に素直に思えるようになった。
この後、待ちに待った強烈な上司に出会うこととなる。
そして、いかに楽勝な環境で働いていたか思い知ることとなった。
つづく。。。