1998年、スノボーが流行っていた。
おいらも、周囲のトレンドに乗り遅れないよう、
仕事以外は全てスノボーに費やすという毎日だった。
大学3年生から本格的に始め、4年目のこの年は、ジャンプの大技に
一層の思いをかけた年だった。
いつものように、超早朝からオソラカン(広島のスキー場)に向けて
車を走らせ、スキー場に7:00には着いて、着替えておくという毎週。
金曜日の夜は遅くまで飲み、土曜日も日曜日もスノボー三昧だった。
大学時代の友人も福岡、高松などから集まり、
それはそれはフィーバーしたある日曜日のこと。
いつものようにジャンプ台を自分達で作り、その(台の)大きさに負けず、
ノンブレーキでジャンプ台に入り、誰が一番の大技を決めるか。
それを全員で競っていた。
当然、全員がビビッていたが、それを顔に出すことは許されない。
「あのぐらい楽勝やろ。次はもっといけるわ」
こんな台詞を次々に吐き、みんながジャンプ台に特攻していたとき、
1人が、その当時ではありえない大技「マックツイスト」に挑戦した。
みんな、目が点になった。
誰もが「オレはアレは無理やな」そう思ったはず。
マックツイスト・・・ジャンプして宙返りしながら360横回転する
うまく書けないけど、こんな感じの技。
それに挑戦したヤツの名前はT野。
いつも、こういう意地の張り合いという火に油を注ぐ。
1発目はもうちょっとのところで着地に失敗した。
ヤベー。
ちょっと、こりゃーもー行かないかんやろ。
全員がそう思い、次々未開拓の技に挑戦し始めた。
バックロール、バックフィリップ、540°・・・・・
あー、もう誰も止められなくなってきた。
頭の中はオフスプリングがフルボリュームで流れ、興奮状態はピーク。
その時!
おいらは、360°の変形技(技の名前忘れました)に挑戦し、
斜面に対し体が真正面を向いた状態で着地に大失敗した。
体の骨が、バキバキっとなる音が聞こえ、背骨が折れたと思った。
痛すぎて、どこが痛いのか、何が起きたのかわからない、
もしかしたら即入院かも・・・、いやーな思いがよぎった。
そして、その直後、T野は再びマックツイストに挑戦し、
おいらと同じような不自然な体勢で着地し、自分の板で頭を強打した。
カチャっという、地味な音だったが、仰向けに寝ているT野の、
頭の下の雪がみるみるうちに赤くなった。
これで、全員にフルブレーキがかかり、下山→救急病院搬送となった。
結局、おいらは靭帯損傷(切れた靭帯と伸びた靭帯)&捻挫。
T野は頭を8針ぐらい縫った。
イェイイェイ!の1日は、あっという間にトホホな1日となった。
さて、もちろん次の日は仕事なので普通に出社する。
右足はギブスをはめているので、電車・バスの乗り降りはとても困難。
おいらは、入社1年目の後半なので、基本的には全て新規営業。
移動にここまで手間取るようになると、益々売れない。
それよりも、お客さんのところに行ってもっと重大な事に気づいた。
仲の良い、既に取引を2~3回頂いているようなお客さんだったら、
お客さん 「おいおいどーしたの、その足。怪我?」
おいら 「そーなんですよ。スノボーで、やっちゃいまして」
お客さん 「気をつけないかんよー」
おいら 「すみません。ありがとうございます」
のようになるのだろうが、ほとんどが新規営業のおいらは状況が違う。
せっかくとれたアポイントで応接間に通して頂いても右足が曲がらない。
どうかと言えば、足がお客さんの方に向けて投げ出されている状態。
・・・感じ悪い。
しかも、おいら自身はそうしているのも辛いぐらい商談中ずっと痛いから、
早く切り上げたくてセカセカしている。
お客さんも空気を感じ取り、それなら早く帰ってよ、となる。
その1ヶ月、足が曲がるようになるまで全然売れなかった。
景気も急減速していて、会社に余剰人員は一切要らないという時期、
ただでさえ業績に関しては全員がピリピリしてるのに、
いっそう社内の風当たりが恐かった。
そんな最中、新人が入社1年弱の時(9ヶ月ぐらい)で受ける、
FT(ファミリートレーニング)というものを、おいらも受けることになった。
つづく。。。