ごごナマで思った。きっと前世から繋がっていた。 | 美輪ファン集合!どこよりも詳しい美輪明宏を語るブログ

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● ごごナマで思った。きっと前世から繋がっていた。

こんにちは、佐藤理砂です。

全国に緊急事態宣言が発令されてから数日。

改めて美輪さまがご出演された「ごごナマ」を見返していました。

その中でおっしゃっていた言葉は、深く胸に刺さりました。

たくさんの気付きがあったので、また別記事にてそのことを書きたいと思います。

番組を見ると、美輪さまがお元気そうで、本当に良かったと安堵しました。

ご自宅からリモート出演されていて、まるで異世界から交信してるみたいだった・・・(笑)

IMG_7705.jpg

(あまり関係ないけど元気になれたみわサンの画像^^)

こんな時にもサービス精神旺盛な美輪さま、番組中に歌を披露して下さったのです。

私の独断ですが、美輪さまの魅力的なところはたくさんあるけれども、一番に挙げるとしたら、やはりなんといっても「歌」がいい。

生粋の「歌い手」なのだと思います。

お元気な姿をテレビで見られるとなったら、私は美輪さまの歌声を聞けるのを期待するし、全国の皆さまもそうだったのではないでしょうか。

「長崎の鐘」という歌の一節をアカペラで歌ってくださいました。

何を求められているかを良くご存知なのだなと恐れ入ったのでした。

で、その歌の紹介をされていた時に、ブワーッといろんなことを想起してしまいました。

私、きっと美輪さまと、前世で会っている。

きっとその当時、私は長崎に住んでいて、天草四郎だった美輪さまとともに、志を一つにして戦った仲間だったのではないかしら。

・・・スッゴイ突飛なことを唐突に言っておりますが、これ、ずっとずっと前から思っていたことです^^;

縁もゆかりもない長崎に、11歳のころから旅行でたびたび訪れたことがある私。

あの異国情緒あふれる街並みに、いつも胸がきゅっとなるようなノスタルジーを感じていたのでした。

ご当地の食べ物も好きなものばかりだし、長崎のガラス製品などの手工芸品も好み。

本当にここに、住んでいたことあるのかもと思ったこともあります。

その後、好きになった美輪さまは、長崎出身。

初めて就職した会社の社長も長崎出身だったし、なんだか縁があるのですよね。

美輪さまが「ごごナマ」で披露して下さった「長崎の鐘」の歌のモデル、永井隆博士の名は、11歳だったころの私の記憶にも深く刻まれていました。

幼子を2人残して、もうすぐこの世を去らなければならない。

その無念を病床から綴った本は、紙不足の戦後でも空前のベストセラーになったそうです。

美輪さまは番組で、「同級生に、原爆症で亡くなった永井隆博士の息子さんがいらして・・・」とおっしゃっていました!

11歳の私が長崎で聞いたエピソードともつながるお話に、いてもたってもいられなくなり、この機会に永井博士の著書を読もうと「長崎の鐘」「この子を残して」を買っちゃいました^^

美輪さまが原爆に遭ったのも、当時の私くらいの年齢だったのですね・・・

私、一つ目標ができました。

コロナウイルスの脅威がなくなり、旅行を楽しめるようになったら。

長崎に行きたい。

美輪さまの生まれ育った土地を見てみたい。

コロナが収まったら、って想像をめぐらすのも楽しいですよね。

絶対叶えたい目標ができ、前向きな気持ちで日々生きていこうと思えました。

この機会をいろんなチャンスにつなげたいです!!