● 毛皮のマリー、反芻して第二弾の感想~寺山修司にも興味を抱くの巻
こんにちは、佐藤理砂です。
毛皮のマリーがあまりにも面白くて、その後もパンフレットを見ながら感動を反芻しております。
とうとう原作本を買ってしまいました。
毛皮のマリー改版 [ 寺山修司 ]
¥648
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・・・その前に、お詫びしなくちゃならないことが。
実は、気合を入れて毛皮のマリーの感想第二弾を書いていたのですが、アメブロ記事の保存がうまくできず(泣)
しばらく意気消沈しており、6月のブログ更新はたったの1回でしたorz
この美輪ファンブログを楽しみにしてくださっていた方、(もしいるなら)申し訳ありません。
これからまた大好きな美輪さまのことをたくさん書いていきますね♪
さあ~て本題です☆
マリーの感想、第二弾!!始めます。
寺山さんのことは、美輪さまが交流していた天才の一人であり。
美輪さまの著作にも何度も登場しているひとだったので、名前だけは知っていました。
でも、戯曲を読んだのは初めてです。
なんてすごい文章を書く人なのだろうと、恐れ入りました!!
ほんとは、配役の一人ひとりについて書きたいところですが、とにかく寺山さんの脚本、そのセリフがすごい!
(美輪さまお気に入りの俳優、木村彰吾さんが水夫役。
ワハハ本舗の梅垣義明さんが下男役だったのも見所の一つ。
それについては、どなたかがブログ記事で書いてくださってると思います^^;)
美輪さまは、寺山さんと同い年。
生まれた場所は青森と長崎ですが、見てきた映画、読んだ本、リアルタイムで同じものを見聞きしてきた二人。
そんなふたりが東京で出会い、出来上がったのが「毛皮のマリー」。
「マリー」に出てくるセリフや音楽の元ネタが何なのか、美輪さまはすべて理解できていたそうです。
寺山さんに、「毛皮のマリー」の本当の意味をこう指摘した美輪さま。
男娼マリーと養子の美少年というシチュエーションにおきかえているけれど、ホントはあなたとお母さんの話なのでしょう?
そう言われて、寺山さんは嫌な顔をしていたそう。
多分、図星だったのでしょうね^^;
私、「ラストが意味深だった」と前回のブログ記事で書きました。
原作本を読み確かめてみたところ、ほとんど忠実にセリフは原作のままです。
ですが、ラストは大幅に美輪さまが手を加えていらっしゃることが分かりました!
(はい、ここからネタバレですよ~。ちょっとうろ覚えなところは、ご容赦ください^^;)
「本当のお母さん」を探して、家を飛び出す欣也。
ボロボロになり、結局、マリーの元へ帰ってきてしまう。
マリーは欣也に女物の服を着せて、口紅を塗ってあげる。
この世でいちばんきれいな女の子にするために。
そして、幕。
・・・というのが原作。
美輪さまが用意したラストは、続きがありました。
ハッと我に返るマリー。
「ああ、私は欣也を、自分と同じ目に合わそうとしていた!」と気づき、
泣きながら「母さんを許しておくれ」と欣也にすがりつきます。
その後、マリーの幼少期の回想シーンらしき声が。
「もういいかい?」「まあだだよ」かくれんぼをしている様子。
マリーは、かくれんぼの鬼。
自分の手で目隠しをして、その場に座り込んでいます。
そのうち、日が暮れて・・・かくれんぼをしている子の声は、聞こえてこなくなる。
欣也が、マリーに話しかけます。
「マリーさん、もう誰もいないよ」
マリー、無言でその場に座り込んでいる。
やがて欣也も、マリーのそばに座り込み、同じように手で目隠しをする。
・・・二人が黙って座り込む姿で、幕。
最後に、強烈に印象に残るシーンでした。
寺山さんは東京に出てきた後も、お母さんとともに住んでいたそうですね。
美輪さまいわく、お母様の「修司ちゃん」への溺愛ぶりは凄まじかったそう。
その時の印象を「毛皮のマリー」のラストに込めたのだと思います。
寺山さん自身も、お母さんを無碍にはできなかったものと推測します。
ラストの舞台装置はすごく目に焼き付くもので、今でもそのラストシーンを脳裏に思い浮かべてしまいます。
ああ、できるならまた観たい。
また、再演してくれるかな?^^
ほかの美輪さまの数々の当たり役の舞台よりは、公演時間も短くて。
体力的にやりやすいのではと思われます。
60年代の寺山作品の息吹をじかに感じることのできる「毛皮のマリー」。
私たちに届けてくれる美輪さまには、感謝しかないです^^
ちなみに、「毛皮のマリー2016」の感想、第一弾はこちらです