先日たまたまアレクサンダー・ルイス(A.L.)氏のプレイリストを再生しようとしたら、YouTubeのホーム欄でライブ配信を告知されていた一本の動画を見付けた。これまでに観てきたそれと似て非なる世界観を呈示する、それこそが韓国上演版による『ベルサイユのばら』だった

 

それを知った瞬間震え上がったよ、今まで長い間ずっと「数奇な運命に生まれついた男装の麗人であるオスカルの能力性を発揮させ得るには、それと対照的な存在となる男性が介在する舞台であるべきだ」って思い続けてきた。まさかミュージカル大国によって、この希求が叶えられるなんて願ってもない幸運だよ

 

これが予告編映像、ご丁寧にも韓国語で『ベルサイユのばら』と題されてる。昔勉強した名残りで、今でも通り一遍の読み書きくらいなら出来るんだ。まるで意味は分からないんだけどね。これを言うと驚かれることとして、一般的な日本人なら一時間程度首っ引きで学べば、誰でもすぐに出来るようになるよ。まるで意味は分からなくてもね

 

なんて素晴らしい映像美なんだ。さすがビジュアル立国でもあるお国柄、この時点で期待値を否応なく煽って来るね。我が国のそれより間違いなく脚本と演出も秀でているんだろうな…

 

そもそも、どうして原作者もファンもあんな捨てる部分しかない塵芥みたいな作品がのさばることを許容しているんだろう? 私が池田理代子先生だったら植爺に決闘を申し込んで「この原作を歪めた憎き手を…!」って言いながら引き金を引くわ

 

とはいえ、その世界観を全身で表現しようとする生徒さん達の努力は買うよ。もしこの韓国版が世界を席巻する日を迎えるとしてもそれはそれとして宝塚版は残って欲しい。彼女達が護って来た花園には、あそこにしかない独特の面持ちがあるから

 

そうなんだ、「独特の面持ち」。それとしか良くも悪くも表現しようがないとも言えるかな。これまでにさまざまなベルサイユに咲く紅薔薇と彼女を護る女伯爵を見てきたよ、たとえ多少の粗があったとしてもこの世界観を守り貫けるのは彼女たちをおいてほかにはいないことも知ってる。だからこそ、「もう少しましなホンを」と願わずにはいられないんだ

 

どうして柴田先生や荻田先生じゃなく植爺だったのか…。この作品を待ち受けていた運命ったら、それこそ数奇過ぎるでしょうよ。もし今後書き直してもらえるなら、今の座付き作家の誰でもダーイシ以外なら構わないのに。その日まで、ミレーユ、お前の唇はお預けさ…

 

「もし韓国版が世界を席巻する日を迎えたら」、私が愛して止まないA.L.氏にはジェローデル役を演じてもらいたいな。所謂「当て馬」的存在に目がない性質だから登場人物中でもかなり好きなんだ。彼ならば、恐らくと言わず絶対に見目麗しく耽美かつ独自の哲学をも携えた好男子を期待値以上に演じられるはずだからね