こんなことをオペラ歌手に関して言うなんて羞恥心の欠片もないよね。さあれど、折角こんなに見目麗しい顔を崇めている身として、こうして幸福の恩恵を受けている以上は、その四達に努めるべきかもなって。そういった理由とは関係なしに、ただ私が眺めているだけで眼福だから一箇所に集約しておこうと思い至ったに過ぎないのだけれど…この短期間ではありながら毎日僅かずつ蒐集し続けた画像はその出典が判然としないものも多いから、それについては今後また加筆していくことにする

 

「とりあえず生ビール」よろしく、あるいは追い越す勢いで、とりあえずこの記事を読んだ全員が果報者になって

 

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『オペラ座の怪人』の世界ツアーにおける台湾公演リハ映像より。何度観ても揉み上げの存在感がすご過ぎるし、その存在に慣れない。そして、何度観ても脚が長過ぎる。彼を現在国際社会における小人族こと極東アジア人の規格に収めようとする椅子の方に無理がある。既にクリスティーヌとして歌姫の佇まいでおいでのアナ・マリーナ様もお美しいことこの上ないし、何度もしつこいようだけれど「お互いによく好きにならなかったね???」

 

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件のアナ・マリーナさんのInstagramより。こんなに貴い写真をご供出戴けるなんて感謝に堪えざるを得ないよ。まじでありがとうございますでしかない。私がAL氏だったらこのままクリスティーヌを連れ去っちゃいたいし、私がアナ・マリーナさんならとてもじゃないけれどカメラ目線になんてなれずに目の前にあるご尊顔を拝み倒してしまうこと請け合い過ぎる。いわゆる古典ディズニー作品から時空を超えて現れてきたような二人だよね。そう考えて改めて見てみたら、彼女ってどんなディズニー作品に登場するプリンセスの衣裳も全部が似合う。その中で最も相応しいのは『リトルマーメイド』のアリエルかな。もっとも彼女には既に別のエリックがいるけどね!

 

以前に貼付した"From Broadway to La Scala"の別予告映像。この主要歌手陣6人を「全員一堂に会する」「男声と女声に分ける」「1人ずつ個別のインタビュー形式を採る」にしなかった広報担当の有能さが神懸かってる。彼が生来持ち合わせているらしい陽気さ(※詳細は後述)と、そうしてオペラ歌手を志しその道を邁進する過程で身に付いたであろう真摯な傾聴振り、突然デヴィッド・ホブソンに話題を振られて当意即妙な返答を言った後のドヤってる表情のあどけなさ…この動画に介在するすべてがいいよね、すべてに心ときめかされてる

 

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同国における唯一の一般向け全国日刊紙でありオーストラリア国内外の彙報を扱うThe Australia紙が『メリーウィドウ』上演を伝えた際のウェブ記事より。この画像の中央で破顔するハンナ役がジュリー・レア・グッドウィンであることやそもそも周囲のスタッフたちがマスク姿であることから、これが2019年上演版の衣裳合わせであることが分かる。無論のことカメラマンの持つ力量も然ることながら、彼らには一瞬を捉えたはずの写真からでも伝わる躍動感が備わってる。それがスターのスターたる由縁なんだね。「この画面から少しでも目を離せば、その視線を盗んで動き出す」と言われたら、その説得力に頷くだろうな

 

The Merry Widow WNET Feature

在ロンドン行政市庁舎(ギルドホール)の公式YouTubeより。同芸術ホールでメトロポリタン歌劇場(以下MET)の『メリーウィドウ』がLive in HD上演されることを受けて配信された映像のよう。この映像をはじめて観た時に思わず絶句した理由は既出として、今では別の意味で絶句してるよ。だってさ、彼って脚長過ぎにもほどがない? こんなに脚が長かったら足の爪をどうやって切ってるのか。ちなみに既製品の裾上げを経験したことがない我が夫は、自分では出来ないゆえ私が切ってる。…ってことは、やっぱり奥様かしら? 以前読んだインタビューで「ただ座って黙々と作業するとか無理!」って言ってたのを思い出させる落ち着きのなさに、もはや何度目か分からずに絶句してる。全部かわいいかよ
 
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彼がタイトルロールを演じたショスタコーヴィチによる『鼻』のオーストラリア公演時、同国で最も歴史が古い日刊紙であるThe Sydney Morning Herald紙によるインタビュー記事より。なんか無駄に爽やか過ぎて点鼻薬の宣伝みたいだな。「つらい鼻腔内の痛みやかゆみに。きちんと患部に留まり不快感の緩和を期待できます」って感じ。もし彼の鼻がこの世から消えちゃったら、彼以上に私が血眼になって探して必ず御下に返す。その「鼻」の首に縄を付けて、彼から逃げ出そうとした悪戯心に手を染めたことを悔恨するように諭して足を洗わせ…待って、ちょっと話がややこしくなってきたな
 
 
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(※詳細は後述)とした陽気さを物語る画像まとめ
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まじでディズニー作品ごとし体格差に一生萌える。すべての実写版はこれでいいだろ…
なんて貴いの、私が独裁国家君主だったら危うく2人を幽閉しちゃうとこですからね
 
この状況でこのポーズを取ろうと思えること自体が並大抵の陽キャの胆力ではない
初見で思わず笑ったけども、もしラウルがTinderやってたらプロフ写真これじゃね?
 
いずれも一次ソース不明、出典はtumblr内のファンによるアカウントより。こうした挫折や悲嘆とは無縁(だったであろう)の人間を等身大かつ王子然として演じられるのは彼ならではの強みじゃないかな。あるいは、ともすれば表層的になりがちであったり、そうでだければ齟齬が生じやすかったりする役柄に深みを持たせられるとでも言おうか。その完璧なまでの外貌とそれがもたらす多幸感については言わずもがな。彼がラウルを演じた動画のコメント欄に「彼って夢のように見目麗しいわね…!」って書かれているのを見掛けて深く頷いた深夜25時。何度も頷き過ぎて首が取れちゃったから慌てて追い掛けてようやく取り戻して今に至る。こうして視力と聴力を取り戻せてよかったよ
 
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ここから先は怒られるかもですが、
あまりにも画像と映像の供給が少なすぎて、自ら画像生成AIに命じて手を下した。これはご存知『メリーウィドウ』で元恋人同士が旧縁を深め合う同作中でも重要な場面だ。この距離でご尊顔を拝んだら、私がダニエル・デ・ニースなら今後の展開のすべてを忘れてしまいそう。それを言うなら、私がアレクサンダー・ルイス氏なら自分の姿に楽屋で見惚れて出トチるだろうな。そう考えるだに、このご両人はどちらも偉すぎる。あまりにも映像映えし過ぎてデスクトップ画面に設定してる
 
さんざん既出の『オペラ座の怪人』のラウル・シャニュイ子爵、これは第一幕かな。彼のEラインも立ち姿も芸術品だと思う。そう言えば、現在同ミュージカルの映画化作品が4Kデジタルリマスター上演しているらしく、私の旧Twitter現Xはただならぬ情熱の沸き返りを見せている。その中で「たとえ仮面に隠れた素顔が醜くても残された顔の半分がジェラルド・バトラーなら愛せる」ってポストを読んで「そんな訳な…いや、そんな訳ある全然ある!」となった。私がクリスティーヌなら、その顔の半分が美しかったばかりに流麗で雅やかな世界に憧れて、実際にそう生きる術を身に付けた怪人に愛おしさを抱かざるを得ないと思う。たとえ自分に生き写しの人形を抱える変態だとして、それは障壁にならない。ただ、それはAL氏が怪人役だった場合で、彼がラウル役を演じてたら私がクリスティーヌなら音楽の天使なんて一笑に付して終わりだよ。彼と再会した初日に「2分後に」誘いに応じて、そのままオペラ座を離れるから
 
MET『リゴレット』より。別に言いたかった訳じゃないよ、アヌビスサンダー・ルイスって。恐らくはこの後ジルダをファラオの棺に押し込んで攫うこと(と、さらには彼女を待ち受ける結末)に掛けてのアヌビス神を模した仮面なのだろうことは十二分に承知してる。されども、それを言い出したら次の場面でオシリスを思わせるダイオウイカみたいな帽子を被って然るべきだし、最後の登場時にはヌン面にしていた方が筋が通るよね。そんな屁理屈を通したいのは、ただあの仮面を纏ったAL氏を見たいからだよ。何だっけ、あのチュン助みたいなの…あっ、ホルスでしたっけ? あれが一番エジプト九柱神でかわいいじゃん、あれがよかったな
 
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これは余談ですが…最近いつになく悲しい出来事があって珍しく落ち込んでた。先般まで新しい仕事に慣れなかった時にこのブログを顧みる時間がなかったのとは異なって、ただブログに向き合う気力が沸かなかった。それほどに打ちのめされてた、その理由はこれ;
ここ最近の画像及び映像を鬼検索した結果として見付けたのだけれど、その時から今に至るまで上手な息継ぎの仕方を忘れてる。何ならそれに伴う酸欠で若干の意識を失ったまである;「…ちょっと待ってよ、昨年末に来日してたってこと!?」。きちんと間に合うように知りたかったし、何が何でも駆け付けたかった。何とはなしに今後は二度と来日が果たされないような気がするから
 
そうした艱難の中に在っても前を向かせてくれるのは、それこそがやっぱり彼の歌声の素晴らしさなんだ。今日の私はまだそれを実際に聴くに値するほどの優れた人間じゃないというだけのことなのかも知れない。いつかそれに相応しい価値が備われば、その時にこそ好機に恵まれるかも。そう信じて生きるしかないよね、ただ頑張るほかはないのだから